暴力と死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/24 00:32 UTC 版)
本作品では男の子がバルコニーから投げ落とされ、女性がその顔を噛み切られ、男性は鼻を切り落とされ、女の子は耳を切り落とされ、強姦も大虐殺も頻繁に起き、死体はその一部を動物に持ち去られ、そして人が斬首される。愛すべき登場人物を無慈悲に殺してしまうのが本作品の特徴であり、ファンは一度は本を部屋の隅に投げつけてしまうが、後で拾い上げることになる。登場人物が傷を負いやすく、いつ死ぬかもしれないため、物語の先行きに対して疑念が生じ、緊張感が持続する。 マーティンは、たとえファンタジーが想像から生み出されるとしても、現実世界を正直に反映する必要があると考える。現実世界では、たとえ愛すべき人でさえも醜い死に目に遭うことがある。余分な登場人物やオークの死は読者に何の影響もおよぼさないが、友の死ははるかに大きな感情的な衝撃をもたらす。マーティンが主要な登場人物を殺してしまうのは、ヒーローが無傷のままで生き延びることが最初からわかってしまうような物語に、いら立つためである。マーティンはこのようなリアリズムの欠如を嫌い、戦いの前夜におびえる兵士の心境に例えて語っている。マーティンは、読者がページをめくるにつれて、誰も安全ではないのだと恐れることを望む。 『指輪物語』が登場人物の死により読者を驚かせたことに刺激を受けたと言い、ヒーローの犠牲は人間性の何らかの深部を語るものであり、心を乱されることをいやがる読者はもっと気楽な本を読むべきだと言う。 戦闘場面で死ぬ登場人物を選ぶとき、マーティンは二番手以下の登場人物はあまり深く考えずに選ぶが、これはそのような登場人物がさして掘り下げられておらず、単なる名前だけの存在だからである。だが主要な登場人物の死とそのタイミングは物語の当初から計画されており、その場面を描くことは容易ではない。『剣嵐の大地』が3分の2ほど進んだところで起きる〈釁られた婚儀〉 (〈血染めの婚儀〉)と呼ばれる婚儀の章は、マーティンが描いた中で最も困難な場面であった。この章を執筆することを何度も後回しにし、結局は『剣嵐の大地』の最後に執筆することになった。読者の反応は称賛から降参までさまざまであった。マーティンはこの章について「この場面は書きづらかった。読むのも苦痛だろう。この場面は読者の心を引き裂き、恐れと悲しみで充たすだろう」と語っている。 戦争はトールキン以前から多くのファンタジーの中心である。だがモダン・ファンタジーにおいてはほとんどが善と悪との戦いになってしまっている。この小説では、戦争の倫理面ははるかに複雑である。戦争というものが高い致死率を伴うことを、この作品は反映している。この作品の戦争に対する態度は、ベトナム戦争の論争におけるマーティンの個人的経験によって形成されている。作者はベトナム戦争に反対の立場を取っており、作品はマーティンの戦争、暴力そしてその代償に対する見方を反映する。しかし、『乱鴉の饗宴』での裸足の司祭の反戦の演説を通して、作者の声が反映されているわけではないと強調し、作者は隠れた人形遣いであり続けることを望む。 プロットの捻りの一つとして、明らかに重要である登場人物の死と、死んでいたと信じられていた登場人物の復活がある。マーティンは、登場人物が死から復活する時に人格の転向は不可欠であると言う。肉体が動き始めるとしても、魂の一面は変貌を遂げ、何かを失っている。マーティンは『指輪物語』で灰色のガンダルフが白のガンダルフとして復活したことを評価せず、死んだままであればもっと強力な物語になったはずであると信じる。氷と炎の歌で死からよみがえった登場人物は外見が劣化しており、ある意味では同じ人物でさえない。何度も死から甦った登場人物に〈稲妻公〉、ベリック・ドンダリオンがいる。死から甦るたびに、彼の人間性と前世の記憶は少しずつ失われ、その血肉はそぎ落とされるが、死ぬ前に負っていた使命は覚えている。
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