時代と作品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 07:34 UTC 版)
大正時代に芥川龍之介は『今昔物語』などに題材を取った王朝物や、中国の説話を元にした『酒虫』(1916年)や『杜子春』(1920年)などを書き、谷崎潤一郎も中国を舞台にした『人魚の嘆き』(1917年)や、後に伝奇時代小説『武州公秘話』(1931-32年)などを書いていた。明治時代から冒険小説などで活躍した江見水蔭も伝奇の時代小説を執筆した。 『講談雑誌』編集長の生田調介に見いだされて、白井喬二が1920年から「忍術己来也」、1922年に「神変呉越草紙」を連載すると、芥川龍之介は「あれだけのものを空想で書いたとしたら、たいしたもの」と評し、1922年にはやはり生田に誘われた国枝史郎が「蔦葛木曽桟」を連載する。これらは荒唐無稽とも言える空想力による作品ながら、それまでの立川文庫のような作品に比べれば大人の読物として成り立っていた。1924年には吉川英治が、新雑誌『キング』で「剣難女難」、1926年には「鳴門秘帖」と絢爛たる作品で人気を得た。野村胡堂は捕物帖の他に「美男狩り」(1929年)、「隠密縁起」(1941年)といった伝奇作品を残している。 三上於菟吉は謎とサスペンスを凝らした作風で、「雪之丞変化」などの時代小説も残した。三上が高く評価した角田喜久雄は、探偵小説的手法を駆使した作品、1935年に「妖棋伝」で伝奇小説作家として認められ、次いで「風雲将棋谷」「髑髏銭」「鍔鳴浪人」などを立て続けに発表して、人気作家となった。 戦後になって山田風太郎が数々の忍者小説に加えて、「妖異金瓶梅」(1954年)など奇抜な伝奇小説を書いた。また歴史作家の早乙女貢も「死神は黒衣をまとう」(1971年)、「猫魔岳伝奇」(1974年)など多くの伝奇小説がある。晩年の石川淳は、『至福千年』(1967年)、『狂風記』(1980年)など奔放な伝奇小説を世に問い支持を集めた。 1968年に国枝史郎「神州纐纈城」(1925年 - 1926年)が復刊されると、これを三島由紀夫が高く評価し、この分野の作品の再評価の機運が高まった。その中で半村良が「石の血脈」(1971年)、「産霊山秘録」(1973年)などの伝奇ロマン(または伝奇SF、SF伝奇ロマン)と呼ばれるスケールの大きな作品を生み出す。次いで谷恒生「魍魎伝説」(1982-88年)、荒俣宏「帝都物語」(1985-87年)、高橋克彦「総門谷」(1985年)、夢枕獏「陰陽師」(1988年)といった伝奇ロマン・伝奇バイオレンスの作品群が人気を博し、以後同種の作品のブームとなった。
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