映画産業への影響
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『ダイ・ハード』以前のアクション映画は、アーノルド・シュワルツェネッガーやシルベスター・スタローンに代表される筋肉隆々の男たちを主役とし、非現実的な設定の中で、無敵かつ完璧で印象的な軽口を叩くヒーローとして描かれることが一般的であった。一方で、本作においてブルース・ウィリスが演じたジョン・マクレーンはアクションというジャンルを再定義し、それまでのフォーマットに反する平均的な体格の普通の人間として表現されている。彼は仕事でもプライベートでも失敗しており、公然とすすり泣き、死への恐怖を隠さず、治らないダメージを抱え、脆弱で親しみのあるヒーローという役割を与えられている。重要なのは彼の気の利いた軽口(one-liners)は、敵に対して優位に立つことを示すものではなく、自分が置かれた極限状態に対する神経質な反応から出たものという点であり、その状況で苦しみに耐え、自身のイニシアチブを発揮することによってのみ危機を克服できることを意味している。 同様にアラン・リックマンが演じたグルーバーもまた、それまでの無個性あるいはエキセントリックな狂人であったアクション作品の悪役を再定義した。グルーバーは賢い宿敵の先駆けであり、教育を受けた知的な悪役であって、ヒーローのアンチテーゼとしての役割も果たしている。このため、グルーバーは、このジャンルにおけるもっとも印象的な悪役の一人として挙げられる。エンパイア誌ではグルーバーをダース・ベイダー以来の最高の悪役の一人と評した。リックマンはこの役を自分の人生における「大きな出来事」と表現している。1980年代的な一般的なアクション映画は本作以降も製作は続けられたが、このジャンルは次第により小規模で限定された舞台、普通の人である主人公、優れた計画を持つ魅力的な悪役に焦点が絞られるようになっていった。 本作はウィリスをテレビのスターダムから世界的な知名度を誇る俳優に引き上げ、リックマンにも名声をもたらした。ウィリスの給料は、1980年代の新旧マネージャーが仕事を奪い合う入札合戦のピークとみられていた。ニューヨーク・タイムズ紙は、この給与を「地震」に匹敵するものと表現し、MGM/UAの会長であるアラン・ラッド・ジュニア(英語版)は「ビジネスがおかしくなった…… 街の他の皆と同じように、私もビックリした」と語っている。トップギャラが200万ドルから300万ドルの時代、550万ドルのギャラであったダスティン・ホフマンが『トッツィー』(1982年)以来、最も大幅なギャラ変更と見なされた。ウィリスのような新しいスターよりも確実に給料がもらえるように、大スターらの給料も大幅に引き上げられることが予想されていた。マクティアナンは、この成功をきっかけにして、自身もファンであった小説『レッド・オクトーバーを追え!』(1990年)の映画化の監督を務めることになった。その演技が評価されたベルジョンソンは、1989年から1997年にかけて放送されたシットコム『Family Matters』に出演した。 本作の人気を受けてフォックス・プラザは人気の観光スポットになっているが、建物自体を見学することはできない。撮影に使われたフロアはロナルド・レーガンのオフィスになったが、撮影当時(すなわち工事中の時)、レーガンのスタッフが内見に来た時には割れたガラスや薬莢が散乱していたという。2013年には映画25周年を記念して、センチュリー・シティのフォックス・スタジオの敷地に、マクレーンがナカトミ・プラザの通気口を這っている様子を描いた巨大な壁画が建てられた。
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