映画産業と専門チャンネル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 16:56 UTC 版)
1980年代後半、台湾では政府の外国メディア規制の大幅な規制緩和により外国の娯楽文化が流入し、台湾の布袋劇もその影響を受けるようになった。観客の減少により後場の専門集団の上演機会が失われ、経営が赤字に転落したことで最盛期には千を超える劇団により上演されていた野外布袋劇団も300余りに減少し、その中には実質的に上演を行っていない劇団も少なからず含まれるようになった。こうした状況下でも一部は学校や地域に密着した活動を行い、伝統布袋劇の文化の保存に努力し、その中でも李天禄と鍾任壁等の伝統布袋劇芸師による貢献が大きかった。新興閣の鍾任は大学の中に布袋劇技芸を開設している。 台湾の伝統布袋劇の劇団と観衆は大幅に減少したが、テレビ布袋劇は1980年代に大きな進歩を遂げている。1988年、テレビ放送の発展を受け黄文択と黄強華の兄弟は美地塢録影帶公司を通しレンタルビデオ市場へ参加し、霹靂系列布袋劇を中心に作品を発表した。この劇団はレンタルビデオを通じて百万人の観客市場を創出し、全台湾のレンタルビデオの10%を占めるに至った。 1993年、霹靂シリーズはまた布袋劇の放送を通信とする専門チャンネル「霹靂衛星電視台(現在の霹靂台灣台)」に発展した。運営方式としてはレンタル用の布袋劇を一定期間経過後にテレビ放映したものである。このようにしてさまざまなメディアに進出した布袋劇であるが、1997年には映画化され『聖石伝説』が製作され、台湾のみならず日本やアメリカにも輸出された。 伝統的な布袋劇は凋落したが、製作レベルを向上させたビデオやテレビ化を通じて新たな観客を獲得し、2005年現在、台湾のテレビ布袋劇市場は4000万USD以上の市場へと成長し、100万人以上の視聴者を獲得、ケーブルテレビの専門チャンネルは350万戸以上へと成長した。また布袋劇関連商品の販売も増加し、同人誌やコスプレなどの愛好者によるサブカルチャーも形成されている。
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