テレビ布袋劇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 16:56 UTC 版)
1960年代初期、映画館で布袋劇が上演されることは一般的であり、野台金光布袋劇は農村地区の重要な娯楽の地位を占めていた。そしてテレビ時代が到来した1962年、当時台湾で唯一テレビ放送を行っていた台湾電視公司が李天禄も亦宛然掌中劇団による『三国志』を放送した。1965年4月には明虚実掌中戯班による北京語音声による『水仙宮主』を放映、テレビ向け布袋劇が初めて登場する事になる。このように李天禄により開始されたテレビ布袋劇は、金光劇の黄俊雄により発展することになる。 1960年代初頭、黄海岱は布袋芸能を子である黄俊卿と黄俊雄へと継承していった。黄俊雄は人形や音楽、舞台効果の改良に力を入れ、新しい内台戯を創造した。1970年3月12日、黄俊雄が率いる真五洲劇団は内台劇で上演していた雲洲大儒侠首を初めてテレビ放映した。斬新な音楽と舞台効果によりたちまち人気番組となり、放映は583回にも及び、台湾で97%という最高視聴率を記録し、テレビ放映が学生や社会人の無断欠席欠勤を及ぼし、1974年6月16日には正常な社会生活を妨害するものとして、政府によりテレビでの布袋劇放映禁止となる社会現象を巻き起こした。
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