明大寺町時代(1971-2008)
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「岡崎市立中央図書館」の記事における「明大寺町時代(1971-2008)」の解説
1970年12月18日から1971年10月28日にかけて建設工事が行われ、1971年(昭和46年)11月1日に明大寺町の新館が開館した。総工費は「約4億円」とする資料もあれば、「2億1,437万4千円」とする資料もある。三和建設が施工した。延床面積は2,477m2。戦前の岡崎公園時代の建物の雰囲気を参考に、レンガ造風のデザインが採用されており、三階建・二階建・平屋の3層という雛壇式の外観となった。電動式書架を採用し、閲覧室の拡張を図った。新館の開館にともなって職員が倍増(14人)となっている。 翌1972年(昭和47年)には隣接地に岡崎市美術館が開館した。1976年度末には蔵書数が10万冊に達した。 1977年(昭和52年)以降には、岩津市民センター(1977年)、六ツ美市民センター(1977年)、南部市民センター(1978年)、矢作市民センター(1978年)、東部市民センター(1979年)の各市民センターへの配本を開始し、さらに「太陽の城」(1979年)と「働く婦人会館」(1980年)にも配本を開始した。1979年(昭和54年)には愛知県の図書館として初めてコンピュータシステムを導入。1980年(昭和55年)の蔵書数は1971年の新館開館時の約2倍、貸出冊数は1971年の約30倍に達した。この背景には入館受付の廃止、開架の設置、館外貸出の簡素化、配本所や移動図書館などがある。 障害者向けのサービスとしては、1981年(昭和56年)には身体障害者向けに図書郵送貸出サービスを開始、1982年(昭和57年)には視覚障害者向けにカセットテープの貸出を開始、1985年(昭和60年)には点字図書の貸出を開始した。1987年(昭和62年)3月には鶴田卓池文庫を設置し、同年10月には菅江真澄文庫を設置。1988年(昭和63年)6月には大改修を行い、一般図書室と資料展示室に充てられていた2階を郷土・参考図書室、郷土資料室に充てられていた1階を一般閲覧室とした。 1988年度(昭和63年度)から1992年度(平成4年度)までの5か年計画で、中日新聞・朝日新聞・毎日新聞・東海愛知新聞の4紙の過去40年分計436,000ページを光ディスク(マイクロフィルムとは異なる)化する作業を行った。1989年度からは愛知県内の公立図書館では初めて光ディスクの利用を開始している。1992年(平成4年)にはこども図書館と中学生閲覧室の間の壁を取り払い、中学生閲覧室を廃止してワンフロアのこども図書館とした。1993年(平成5年)10月にはプレハブの書庫を増設している。1996年(平成8年)10月1日から28日には改装工事のために休館し、コンピュータを導入。この際には館内のレイアウトを大幅に変更しており、レファレンスカウンターや返却ポストを設置している。相互貸借サービスを開始したのはこの頃であり、1997年4月にはビデオテープの貸出を開始した。1999年1月には図書館の公式ウェブサイトを開設、2002年にはインターネット蔵書検索・予約システム(OPAC)の運用を開始した。
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