明大寺町時代とは? わかりやすく解説

明大寺町時代(1971-2008)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 08:39 UTC 版)

岡崎市立中央図書館」の記事における「明大寺町時代(1971-2008)」の解説

1970年12月18日から1971年10月28日にかけて建設工事が行われ、1971年昭和46年11月1日明大寺町新館開館した総工費は「約4億円」とする資料もあれば、「2億1,4374千円」とする資料もある。三和建設施工した。延床面積は2,477m2。戦前岡崎公園時代建物雰囲気参考に、レンガ造風のデザイン採用されており、三階建二階建平屋3層という雛壇式の外観となった電動式書架採用し閲覧室拡張図った新館開館ともなって職員倍増14人)となっている。 翌1972年昭和47年)には隣接地岡崎市美術館開館した1976年度末には蔵書数10万冊に達した1977年昭和52年以降には、岩津市民センター1977年)、六ツ美市民センター1977年)、南部市民センター1978年)、矢作市民センター1978年)、東部市民センター1979年)の各市民センターへの配本開始し、さらに「太陽の城」(1979年)と「働く婦人会館」(1980年)にも配本開始した1979年昭和54年)には愛知県図書館として初めコンピュータシステム導入1980年昭和55年)の蔵書数1971年新館開館時の約2倍、貸出冊数1971年の約30倍に達した。この背景には入館受付廃止開架設置館外貸出簡素化配本所移動図書館などがある。 障害者向けのサービスとしては、1981年昭和56年)には身体障害者向けに図書郵送貸出サービス開始1982年昭和57年)には視覚障害者向けにカセットテープ貸出開始1985年昭和60年)には点字図書貸出開始した1987年昭和62年3月には鶴田卓池文庫設置し同年10月には菅江真澄文庫設置1988年昭和63年6月には大改修行い一般図書室資料展示室充てられていた2階郷土参考図書室郷土資料室に充てられていた1階一般閲覧室とした。 1988年度昭和63年度)から1992年度平成4年度)までの5か年計画で、中日新聞朝日新聞毎日新聞東海愛知新聞の4紙の過去40年分計436,000ページ光ディスクマイクロフィルムとは異なる)化する作業行った1989年度からは愛知県内公立図書館では初め光ディスク利用開始している。1992年平成4年)にはこども図書館中学生閲覧室の間の壁を取り払い中学生閲覧室廃止してワンフロアのこども図書館とした。1993年平成5年10月にはプレハブ書庫増設している。1996年平成8年10月1日から28日には改装工事のため休館し、コンピュータ導入この際には館内レイアウト大幅に変更しており、レファレンスカウンターや返却ポスト設置している。相互貸借サービス開始したのはこの頃であり、1997年4月にはビデオテープ貸出開始した1999年1月には図書館公式ウェブサイト開設2002年にはインターネット蔵書検索予約システム(OPAC)の運用開始した

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