岡崎公園時代(1923-1945)
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「岡崎市立中央図書館」の記事における「岡崎公園時代(1923-1945)」の解説
名古屋市立及豊橋市立図書館と共に本縣に於ける三大公立圖書館として其外観内容共に整備せり — 岡崎市立図書館について、『愛知県下公私立図書館記念写真帖』愛知県図書館協会, 1928年 岡崎町は大正天皇御大典(1915年)記念事業として新図書館の建設を計画したが、用地の確保などが難航した。それでも岡崎公園内の岡崎城二の丸の一角に定めると、1922年(大正11年)5月1日に地鎮祭を行って着工し、同年12月15日に竣工した。設計は名古屋市の鶴舞公園奏楽堂や岡崎銀行本店(現・岡崎信用金庫資料館)などを手掛けた鈴木禎次であり、赤レンガと白い花崗岩が印象的なルネサンス風建築である。建設中の1922年7月19日には、岡崎市内の小学校・高等女学校などに対して巡回文庫(移動図書館)の運行を開始している。 1923年(大正12年)1月7日に岡崎公園の新図書館が開館した。この図書館は現在の「三河武士のやかた家康館」付近にあった。総工費は岡崎市予算の13.4%に相当する73,635円。18,905冊の蔵書を有し、2階建の西洋館に地下室を備えており、本館の建坪は106坪8合6勺(約353m2)、高さは44尺5寸であり、延床面積は計513 m2だった。レンガ造2階建の書庫と木造平屋の付属家屋を備えていた。 岡崎高等女学校を卒業した有能な女性たちが書記などとして柴田館長を支え、中には書記から高等女学校の英語教師に転任した者もいた。一般利用者は下足を預ける際に1銭を支払う必要があり、女性のために婦人専用閲覧室が設けられた。館外貸出の対象は原則として岡崎市内在住者のみであり、貸出の際には補償金が必要となった。貸出冊数は最大3冊であり、貸出期間は最大10日間だった。市民から点字図書96点を寄贈されたことで、1923年には全国的にみて先駆的であるとされる点字部が設けられた。 愛知県の主要な図書館(1928年)#自治体図書館名分類設立年蔵書数年間閲覧人数現在の館名1 幡豆郡西尾町 岩瀬文庫 私立 1907年 89,074 187 西尾市岩瀬文庫 2 名古屋市中区 市立名古屋図書館 公立 1923年 65,551 359,763 名古屋市鶴舞中央図書館 3 名古屋市東区 名古屋公衆図書館 私立 1925年 28,788 78,176 名古屋市西図書館 4 碧海郡刈谷町 刈谷町立刈谷図書館 公立 1915年 25,500 1,256 刈谷市中央図書館 5 豊橋市 豊橋市立図書館 公立 1913年 18,914 32,321 豊橋市中央図書館 6 岡崎市 岡崎市立図書館 公立 1922年 18,905 52,255 岡崎市立中央図書館 1925年(大正14年)時点での蔵書数は19,099冊、閲覧人数は62,780人であり、蔵書数は岩瀬文庫、市立名古屋図書館(現・名古屋市鶴舞中央図書館)、刈谷町立刈谷図書館(現・刈谷市中央図書館)に次いで愛知県下第4位だった。年間利用者数は市立名古屋図書館、名古屋公衆図書館(現・名古屋市西図書館)に次いで愛知県下3位だった。岡崎公園時代の岡崎市立図書館は、市立名古屋図書館、豊橋市立図書館とともに愛知県内の三大公立図書館と評されている。 『三河堤』『三河古墳記』『三河古城記』『龍城雑記』などの郷土史資料や国文学の本を中心に収集。1928年(昭和3年)4月8日には新聞閲覧室を増築した。戦前には市立名古屋図書館、石川県立図書館、奈良県立奈良図書館、埼玉県立埼玉図書館、徳島県立光慶図書館、東京市立図書館、呉市立図書館、尾道市立尾道図書館、長崎県立長崎図書館、豊橋市図書館、大垣市立図書館、帝国図書館などと館報の交換などを通じて交流があった。 1940年(昭和15年)に柴田館長が急逝したことで、岡崎出身で小樽高等商業学校教授の中村和之雄が第3代館長に就任した。1945年(昭和20年)7月20日の岡崎空襲では建物が焼失し、図書館は廃館となった。愛知県内では瀬戸市の市立瀬戸図書館と一宮市の一宮市立図書館も戦災で焼失している。
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