日本統治時代以前とは? わかりやすく解説

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日本統治時代以前(- 1895年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 04:30 UTC 版)

日台関係史」の記事における「日本統治時代以前(- 1895年)」の解説

日本では戦国時代から江戸時代初期にかけての台湾を「高山国」、「高砂国」と称し、そのいずれもが「タカサグン」からの転訛という。これは、商船出入した西南岸の打狗山(現・高雄市)が訛ったものと思われる1593年文禄3年)、豊臣秀吉原田孫七郎に「高山国」へ朝貢促す文書届けさせようとしたが、当時台湾統一的な政府存在しなかったため交渉先を見つけることができずその試み失敗した1609年慶長14年)、幕府通じ肥前有馬藩が台湾視察のために家臣派遣1616年元和2年)、長崎代官村山等安が子の村山秋安、臣下明石道友を台湾征討のため13隻の船団と共に台湾派遣するが、暴風雨のため明国漂着する1628年寛永5年)、台湾貿易をめぐり、オランダの植民地政府との間に紛争発生タイオワン事件)、江戸幕府平戸オランダ商館閉鎖1639年寛永16年)、将軍徳川家光老中が、江戸参府した平戸オランダ商館長であるフランソワ・カロン会談幕閣は、明朝政府渡航許可証与えられ中国人台湾渡航していることをカロンから確認できたことで、マカオから渡航していたポルトガル船の渡航禁止決定する1662年、「反清復明」を唱えて清朝抵抗していた中国人日本人混血である鄭成功軍勢は、清への反攻拠点確保する為に台湾オランダ東インド会社攻撃しオランダ台湾から駆逐した鄭成功は「反清復明」を果たす事なく死去したが、台湾独自の政権である鄭氏政権打ち立て台湾開発促進する基礎築いたことから、今日では台湾人不屈精神支柱象徴開発始祖」「民族英雄」として社会的に極めて高い地位占めている。なお、鄭成功中国台湾では英雄と見なされており、福建省廈門市鼓浪嶼では、鄭成功巨大像が台湾の方を向いて立っているが、「中国英雄視されている鄭成功日本中国ハーフであり、その弟が日本人として育ち日本商売をしていたというのは、中国人からすると複雑な感情なのかもしれない」という指摘がある。 1871年明治4年12月17日琉球那覇出帆した宮古島船が遭難し台湾南端漂着上陸した乗組員台湾原住民襲撃され、うち54人が殺害される事件発生した。 「宮古島島民遭難事件」も参照 1874年明治7年5月陸軍中将西郷従道率い征討3000名が台湾上陸し原住民居住地域武力制圧し占領台湾出兵)。清国政府日本軍出兵賠償金50万両支払うことと引き換えに、日本軍撤兵した。

※この「日本統治時代以前(- 1895年)」の解説は、「日台関係史」の解説の一部です。
「日本統治時代以前(- 1895年)」を含む「日台関係史」の記事については、「日台関係史」の概要を参照ください。

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