日本初の王座統一戦へとは? わかりやすく解説

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日本初の王座統一戦へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 14:36 UTC 版)

井岡一翔 対 八重樫東戦」の記事における「日本初の王座統一戦へ」の解説

八重樫東2011年10月24日世界王座獲得した控室で、大橋ジム会長大橋秀行井岡一翔との統一戦の構想発表した井岡一翔2011年12月31日にヨードグン・トーチャルンチャイ(タイ)に1回TKO2度目の防衛成功させると、井岡ジムプロモーターである井岡一法2012年1月6日大橋ジム直接出向き異な統括団体王座を持つ2人世界王者による王座統一戦へ向けて交渉ここから始まった。「いち挑戦者として挑むWBA世界戦でもいいから戦いたかった」という井岡一翔自身の強い希望があった。 2012年1月25日東京ドームホテル行われた2011年度年間優秀選手表彰式祝辞では、日本プロボクシング協会会長務め大橋が「今年日本人同士統一が行われるでしょう」とスピーチした。この祝辞の中では選手名公表されなかったが、授賞式後には大橋も、同席していた井岡一法互い前向きに交渉進めていることを認めていた。授賞式では表彰され井岡一翔八重樫東固く握手をかわし、翌日発売のほとんどのスポーツ紙2人写真掲載し、この経過伝えた。しかし、両選手オプション興行権)をそれぞれの前王者の陣営握っていたため、まずはこれを買い取る待機させることが前提となっていた。2012年2月18日催され井岡2度目の防衛祝賀会では「日本初統一戦に向けて動いている」ことを井岡サイド明らかにしていた。 この対戦実現向けた交渉過程では興行権をどちらが持つかということ加え井岡試合中継TBSテレビ (TBS) ・毎日放送 (MBS) 系に、八重樫試合中継テレビ東京系それぞれあったこと、またWBAWBCでは世界タイトル戦の公式ルール相違するという問題もあったが、両陣営熱意実って合意至り2012年4月9日ザ・リッツ・カールトン大阪記者会見開いて6月20日大阪府立体育会館会場とし、TBS系列試合中継することなども併せて井岡ジム主催による井岡対八重樫世界王座統一戦の開催発表された。困難を乗り越えて対戦実現させた両陣営に対して日本ボクシングコミッション (JBC) 評議員共同通信社編集委員などを務め津江章二は、「BODYMAKERコロシアム当時大阪府立体育会館命名権名称)が熱狂包まれるのは必至で、高いハードル乗り越えて決戦決めた陣営英断素直に拍手送りたい」と賛辞贈っている。 また、井岡ジム会長井岡弘樹大橋ジム会長大橋秀行1980年代後半から1990年代前半にかけて日本のトップボクサーとして知られ、しかもいずれもWBC世界ミニマム級王座初代井岡、第4代大橋)の保持者でもあり、現役時代には『ワールド・ボクシング』誌の特集で「ファン見たい好カード」の1位になるなど対戦期待されたこともあった。これを材料大橋らはさらに注目喚起し、この試合双方弟子同士の「代理戦争」とも言われた。 日本人世界王者10人の勝敗予想では具志堅用高内藤大助ら6人が井岡、4人が八重樫勝利を支持したまた、日刊スポーツ読者予想では、井岡勝利77.6%(KO45.8%、判定31.8%)に対し八重樫勝利は19.4%(KO10.7%、判定8.7%)、ドローが3%だった。 この試合勝者は、敗者保持していた王座獲得することで、WBAWBC2つ団体王者となる。このように複数団体王座同時に保持する王者統一王者呼ばれる通常統一王者は各団体の中では課せられる義務などの規定上、正規王者同様の扱いとなるが、WBAと他団体統一王者WBAにおいてはスーパー王者として認定され正規王者とは別に規定されるWBAスーパーバイザー立会人)であるアラン・キム(韓国)は6月18日時点で、この試合勝者通常通りスーパー王者となると話していたが、試合前日6月19日JBC事務局長森田健は、この統一戦がWBAおよびWBC認可を受ける際に、勝者10日以内いずれか王座返上しスーパー王者認定受けないという取り決めがあったことを説明し、これを否定井岡八重樫それぞれの団体王者として2012年夏までに規定通り指名試合を行う義務があり、勝者統一王者となった後に両団体指名試合いずれも期限内に消化することは困難であることから、いずれか団体王座返上することで、もう一方団体からは指名試合期限延長許可される見込みであったJBCは両陣営対し統一戦の勝者10日以内WBAWBCどちらか一方王座返上すること」という取り決めを示すとともにスーパー王者条件満たさないことも伝えキム承認経緯把握していなかったことを謝罪した。両陣営プロモーターは、大橋秀行が「試合実現することの方が大事だった」と話し井岡一法も「もともとどちらか返上するつもりだった」と動揺見せことはなかった。

※この「日本初の王座統一戦へ」の解説は、「井岡一翔 対 八重樫東戦」の解説の一部です。
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