日本における平射砲とは? わかりやすく解説

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日本における平射砲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 01:37 UTC 版)

平射砲」の記事における「日本における平射砲」の解説

第一次世界大戦では機関銃機関銃陣地登場し戦闘塹壕戦へと変化した陣地後方野砲重砲による砲撃制圧したこともあったが、最終的に無力化するには陣地砲弾直撃させる必要があったため有効なものではなかった。そのため、歩兵装備運用する火砲が必要となり、最前線から陣地直接砲撃する火砲生まれた。これが後の歩兵砲である。 ヨーロッパにおいて歩兵砲登場したことを受け、日本もこれに追従した日本陸軍では大正5年1916年6月歩兵追随して小銃目標とする37mm砲を変更し機関銃破壊近接砲として開発した歩兵砲審査進め1917年には狙撃砲名付けられた。シベリア出兵時には歩兵連隊特殊砲隊を新設狙撃砲一個小隊2門が配備された。 その後大正8年1月狙撃砲改良進めた新し平射歩兵砲開発決定された。この十一年式平射歩兵砲1920年11月試作砲を製造、仮制式制定1922年5月である。この後不具合洗い出し欠点除去つとめて兵器として完成したのは大正13年1922年2月だった。十一年式平射歩兵砲狙撃砲同様に口径37mm小型砲で、車両機関銃座対す直接照準射撃目的とする。閉鎖器半自動式直鎖栓が採用された。半自動式直鎖栓は、砲弾装填自動的に砲尾を閉鎖し発射が行われると自動的に開放して行った貫通能力射程1000mでニッケル・クロム鋼板12mm。射程600mでは15mmである。 当初十一年式平射歩兵砲十二年式榴弾使用していたが、後に九四式徹甲弾と九四式榴弾、そして一三榴弾使用することになった弾頭は、九四式三十七粍砲九四式三十七粍戦車砲九八式三十七粍戦車砲使用された同徹甲弾、及び榴弾同一で、戦車砲として運用できた。しかし、十一年式平射歩兵砲軽量化優先したため全体的に耐久力不足していた為、発射薬の量に制限があった。そのため、砲弾初速低下してしまい、装甲貫徹力も不十分であった1932年の上海戦では、迫撃砲である十一年式曲射歩兵砲連携し歩兵支援あたった当時の上海一帯はクリークレンガ造り民家集中しており、陣地戦となった前進した平射歩兵砲が敵火点地道に処理、ようやく歩兵前進できる戦況だった。その後日中戦争でも中国軍戦車海軍陸戦隊撃破するなど、対陣対戦車両用万能砲として頼りにされた。これは、日本初本格的対戦車砲である九四式三十七粍砲制式採用されたのは1936年であり、当時対戦車砲存在していなかったためである。 戦車装甲強化される存在価値無くなり軽量化優先した耐久力の不足によって、改良強化余地もほとんど無い状態だったが、十一年式平射歩兵砲大量に生産され九二式歩兵砲現われた後も更新までに時間がかかり、1939年になって装備している部隊存在していた。また、十一年式平射歩兵砲装備したまま太平洋戦争突入した部隊存在し、約20年にわたり使用され続けたその後自衛隊では小型ロケット砲無反動砲ミサイル代替されている。

※この「日本における平射砲」の解説は、「平射砲」の解説の一部です。
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