しんばるぬやま‐こふんぐん【新原奴山古墳群】
新原・奴山古墳群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/06 04:01 UTC 版)
新原・奴山古墳群(しんばる・ぬやまこふんぐん)は、福岡県福津市の対馬見山系にある、津屋崎古墳群の一角を成す古墳群。国の史跡に指定されている(史跡「津屋崎古墳群」に包含)。5世紀後半~6世紀後半の古墳時代中期後半に造営され、被葬者は宗像氏関係者と推定される。古墳群の名称は、福津市勝浦の字「新原」と「奴山」地区に跨ることによる。
- ^ 福津市景観計画
- ^ 世界遺産の古墳群にも被害、福岡 共同通信2018年7月11日
- 1 新原・奴山古墳群とは
- 2 新原・奴山古墳群の概要
- 3 アクセス
新原・奴山古墳群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 06:35 UTC 版)
東西800メートルほどの台地上に古墳が集中する。本来59基(前方後円墳5、円墳53、方墳1)あったが、現存するのは41基(前方後円墳5、円墳35、方墳1)である。2 - 6号墳、44・45号墳、49 - 59号墳の計18基(いずれも円墳)は消滅した。残る41基のうち1・12・22・24・30号墳が前方後円墳、7号墳が方墳、その他は円墳である。以下、前方後円墳5基と方墳1基について略説する。 1号墳は全長50メートル。埋葬施設は横穴式石室。武器武具、工具などが出土している。5世紀中頃の築造。 12号墳は全長43メートル。埋葬施設は未調査。墳丘周囲に幅5メートルほどの平坦部(基壇)を有する。6世紀前半の築造。 22号墳は推定全長75 - 80メートルで新原・奴山古墳群では最大。現状、前方部が失われているが、くびれ部が検出されており、前方後円墳であることがわかる。周溝、周堤、埴輪、葺石を有する。埋葬施設は未調査。 24号墳は全長53.5メートル。周溝、周堤、葺石がある。埋葬施設は未調査。6世紀前半の築造。 30号墳は全長54メートル。埋葬施設は未調査。6世紀中頃の築造。 7号墳は宗像では珍しい方墳で、津屋崎古墳群唯一の方墳である。古墳群の西端に位置し、一辺が20から24メートル。上面に玉砂利を敷き、鉄斧と琥珀原石が表面採取された。この古墳は祭壇的な役割をもったものと推定される。5世紀前半の築造。 新原・奴山古墳群においては、現存41基のうちで最大の22号墳(前方後円墳)が中心に位置し、その近くに他の4基の前方後円墳と2基の大型円墳(20号墳、25号墳)が所在、これらの周囲や台地の東側に小型の円墳が点在する。34号から43号までの10基の小型円墳は細い尾根上に一列に並んでいる。小型円墳は6世紀中頃から後半の築造とみられる。
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