古墳群の変遷と特色
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 06:35 UTC 版)
本古墳群には古墳時代前期(3世紀半ばから4世紀)にさかのぼるものはない。5世紀中頃の勝浦峯ノ畑古墳が本古墳群の首長墓としては最古とみられる。これに新原・奴山古墳群の1号墳などが続く。6世紀には須多田古墳群の前方後円墳4基が造られる。6世紀末に本古墳群最大の在自剣塚古墳が造られるが、以後、日本全国的にも前方後円墳は造られなくなる。古墳終末期の7世紀には首長墓も円墳、方墳になるが、宮地嶽古墳(円墳)はこの頃の築造である。 本古墳群は、宗像三女神を祀っていた胸形氏一族の墓に比定されている。胸形氏は「神宿る島」として知られる絶海の孤島・沖ノ島の祭祀にたずさわり、航海を通じて朝鮮半島ともかかわりがあった。津屋崎古墳群の出土品には沖ノ島祭祀遺跡出土品との共通性がみられ、たとえば、勝浦峯ノ畑古墳出土の画文帯神獣鏡は、沖ノ島21号遺跡(岩上祭祀)の鏡と同型である。 勝浦峯ノ畑古墳の、石室内部を三等分するように2本の石柱が立つ形式は、日本には他に類例がないが、高句麗の墳墓にその源流がみられる。同古墳出土の金銅龍文透彫冠帽は百済の遺跡出土品に類例がみられ、百済からの舶載品とみられる。以上のように、本古墳群は、古代日本の対外交流史を考えるうえでも重要である。
※この「古墳群の変遷と特色」の解説は、「津屋崎古墳群」の解説の一部です。
「古墳群の変遷と特色」を含む「津屋崎古墳群」の記事については、「津屋崎古墳群」の概要を参照ください。
- 古墳群の変遷と特色のページへのリンク