救援・復興支援の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 18:39 UTC 版)
「スマトラ島沖地震 (2004年)」の記事における「救援・復興支援の状況」の解説
これまで国連やユネスコ、赤十字、WFPなどが食糧支援や医療活動を継続しているが、被害が大きかったスマトラ島北部やアンダマン・ニコバル諸島では、津波被災から2年が経過した2006年12月の時点まで具体的な復興のめどすらついていない。プーケットなどの観光産業地域は、以前の半分の規模ではあるが徐々に観光客が戻りつつあり、津波の避難訓練などを行っている。観光客が廃棄した空き瓶やペットボトル、使い古したタイヤなどを利用し、建設費用を極力抑えた廃材リサイクル住宅が被災地における復興の要として期待されている。 日本政府は12月26日、スリランカに国際緊急援助隊の医療チームの派遣を決めた。28日にはテロ対策特別措置法に基づいてインド洋に派遣されていた海上自衛隊部隊のうち、任務を終えて日本に向けて帰還中だった護衛艦「きりしま」など3隻をタイ近海に派遣し、捜索・救助および遺体の収容にあたらせている。その後、タイにも国際緊急援助隊が派遣され、同救助チームがピピ島で日本人行方不明者の遺体を発見するなどの活動を行った。 1月1日、小泉純一郎首相は「5億ドル(約510億円)の無償供与、津波早期警戒メカニズムを構築するための協力、自衛隊の追加派遣を検討」など最大限の支援を行うとの談話を発表した。1月4日、インドネシアのアチェ州へ海上自衛隊輸送艦「くにさき」・護衛艦「くらま」・補給艦「ときわ」の3隻、航空自衛隊の輸送機2機、陸上自衛隊第7師団など三自衛隊合わせて800 - 900人を派遣することが決まり、先遣隊が現地に向かった。 アメリカ政府は12月27日に3,500万ドル(約36億円)の緊急支援を表明したが、内外から少なすぎるとの批判を受け、のちに金額を10倍に引き上げた。ほかに民間からも多額の義援金が寄せられている。また1月から3月にかけて、原子力空母「エイブラハム・リンカーン」をはじめ艦艇約20隻、航空機約60機など、総勢1万2,600人の米軍が各地で救援活動を行った。 国際連合は全世界に強力な支援を要請しており、1月2日までに日本を含む約40か国や世界銀行などから計20億ドル(約2,050億円)の支援が発表された。 その一方で、日本政府の義援金(5億ドル)表明後に、韓国が対抗するような形で当初の義援金の額(500万ドル)から5,000万ドルへと増額するなどしたことから「金額の競争じゃない」と批判の声も挙がった。(なお、その後結局610万ドルに減額したが、そのうち支払済みは310万ドルで残額は未納である。) またこの津波により2005年8月15日にヘルシンキにおいて自由アチェ運動とインドネシア政府の間に和平協定が結ばれ、反政府軍の兵士が一般市民へと戻りアチェ復興を目指している。 また、各国で世界中から集まったボランティアが活動しており、被災者へのカウンセリングなども行われている。 この津波によって発生した大量の腐乱遺体によりペストなどの伝染病流行が懸念されたが、現地での早急な身元確認を行わないままの土葬処分や火葬など関係者の努力により、伝染病流行での大量死は2007年1月時点、発生は報告されていない。日本でも大震災や大津波、有事などによる大量死が真夏に発生した場合の腐乱対策は整っておらず、今後の課題として残されている。 このとき、アメリカ合衆国国務長官であったコリン・パウエルは、被災地の視察後「私はさまざまな戦場や災害現場を見てきたが、今回の災害は私の経験の中で一番ひどい」と発言し、被害の凄惨さを物語るひとつとされている。
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