政局の予想者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 15:08 UTC 版)
かつては各選挙において各党の獲得議席をほぼ正確に当てるなど、選挙や政治情勢予測の正確性で高い評価を得ていた。中期的な展望においても、1989年の第15回参議院議員通常選挙で当時の日本社会党が大勝した際「社会党にとって終わりの始まりになる」と予測。森田の予測通り、その前後に起こった冷戦構造の崩壊により社会党は衰退の一途を辿ることになった。 近年は、予測に自身の希望が多分に反映されて、予測の大胆さが増す一方で、正確性は大きく低下している。特に自民党が勝利した際には、それが顕著である。代表的な例を挙げると、2000年の第42回衆議院議員総選挙の際は、「与党で過半数ギリギリがやっと。場合によっては政権交代もありえる」と断言したが、結果は、当時の森喜朗政権への批判が強かったとはいえ、与党は480議席中271議席で絶対安定多数を確保。2001年4月、その森政権崩壊に伴う自由民主党総裁選挙の際は、再登板を目指した橋本龍太郎の圧勝を断言したが、総裁選の結果は小泉の圧勝であった(ただし、当時は橋本派が自民党最大派閥で、内外のメディアも橋本勝利を予想するのが一般的であり、森田の予想はそれほど特異なものではなかった)。 2003年9月の自民党総裁選の際は、「小泉再選は100%ない」と断言したが、青木幹雄など参院橋本派の支持を得て再選された。更に総裁選の終盤で野中広務が突如引退を覚悟で小泉再選を阻止すると表明した際は、『スーパーJチャンネル』で「これで流れが変わる」と断言するが、小泉圧勝という情勢を崩すには至らず、野中の政治的影響力の弱体化を逆に印象付けた。2005年9月の郵政選挙の際は自民党は惨敗して120まで議席を落とすと予測し、郵政造反組が選挙後のキャスティング・ボートを握ると断言した上、小泉の小選挙区での落選すら主張したが、結果は自民が296議席を獲得し、小泉自身も1996年以降の衆院選小選挙区制では最高得票数を獲得し当選している。 この総選挙で自民党が圧勝した後も、「ダカーポ」誌上で、2006年3月に経済失政で小泉政権は退陣に追い込まれ後任には谷垣禎一が就くと断言したが、実際はその兆候すら見られず、逆に堀江メール問題で野党民主党の前原誠司が代表辞任に追い込まれ、小泉は9月の任期満了まで総裁を務めた。2007年4月の東京都知事選では早い段階で「(現職石原慎太郎の)3選はあり得ない」と断言して注目されたが、結果は石原が勝利して3選が実現した。 2007年の参院選では自民党は大敗をし、安倍内閣は総辞職をすると予想。自民党の大敗は的中したが、安倍は総辞職せずに内閣改造を行って政権担当を続行した。 しかし、すでに民主党政権批判に転じていた2010年の参院選では、鳩山由紀夫の首相辞任と菅直人後継確定を受けて、民主党の惨敗(党首交代前より悪化)を予測。その後、マスコミ各社の世論調査で民主党支持率の急回復や菅内閣の高支持率が発表された後も、この見方を一切変えず、6月17日付ホームページでは「全国民に訴えたい。菅民主党は議会制民主主義の破壊者だ。ファッショ政党の菅民主党との戦いに起ち上がりましょう」と記している。選挙戦では菅総理大臣の消費税引き上げ発言などもあって民主党が徐々に追い込まれ、過半数割れの大惨敗を喫した。願望と予測が一体となって実現した久々の選挙となり、政治評論家の面目躍如となった。
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