接続専用鉄道・専用線
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「北海道炭礦汽船夕張鉄道線」の記事における「接続専用鉄道・専用線」の解説
北海鋼機(株)専用線 北海鋼機前 - 会社工場 (0.5km) 1964年9月14日 - 1987年3月12日 夕張鉄道線廃止後は野幌 - 北海鋼機前間を譲受けた野幌 - 会社工場間1.5kmが運行されていた。 北炭継立専用鉄道 継立 - 砂利採取場 (1.07km) 1927年1月7日 - 1933年4月20日 坑内充填用火山灰の採取線として使用開始した。火山灰充填の廃止に伴い用途廃止となった。 角田炭砿(株)専用鉄道 新二岐 - 角田坑 (4.6km) 1934年4月1日 - 1970年 北炭角田砿への専用鉄道で、石炭輸送のほか、夕張鉄道から客車を借入れ旅客輸送も行っていた。 1949年から1965年6月19日まではDC600Vで電化され、元旭川市街軌道の路面電車(1929年川崎車輌製半鋼製単車)2両が新二岐駅 - 事務所前駅間で通勤輸送用に使用された。 栗山町史によれば、この車両は1965年2月に車両火災で廃車になり、足を奪われた住民から復活運動が起きたが、当鉄道の電車運用及び旅客扱いは石炭産業斜陽化の影響もあって廃止され、同年6月2日から夕鉄バスの代行に替わったとされる。 一方廃止後に発行された『鉄道ファン』、『鉄道ピクトリアル』によると6月19日かぎり廃止。また『鉄道ファン』には6月の検査に150万かかるとして断念したとしている。 北海道炭礦汽船(株)平和砿専用鉄道 平和駅 - 平和坑 (1.0km) 1938年8月1日 - 1975年 夕鉄沿線で最後まで出炭した北炭平和砿の専用鉄道。夕張鉄道平和 - 清水沢間敷設計画では夕鉄に吸収される予定だったが、陽の目を見ないまま計画は頓挫した。 北海道炭礦汽船(株)若菜辺専用鉄道 1908年10月25日 - 1933年10月31日 若菜辺砿の専用鉄道で、専用鉄道敷設免許は1907年で、この地区では最も古い。石狩石炭により鹿ノ谷 - 若菜辺間で使用開始、1920年北炭に譲渡された。 路線の一部は夕張鉄道に充用されて廃止となり、若菜辺砿閉山により1933年に残存区間も廃止となった。 北海道炭礦汽船(株)化成工業所専用鉄道 若菜 - 化成工場 (1.0km) 1936年5月1日 - 1978年4月 夕張鉄道線廃止後は夕張運送により元夕張鉄道線鹿ノ谷 - 若菜間を含む鹿ノ谷 - 化成工場間2.8kmが運行されていた。 (株)夕張製作所専用鉄道 若菜 - 工場 (0.4km) ほか 1936年5月11日 - 1971年 北炭各礦で使用する機械の製作・修理を行う夕張製作所(1938年操業開始)への専用鉄道。廃止された若菜辺専用鉄道の路盤の一部を利用して北炭が1936年に使用開始した若菜専用鉄道0.7kmを起源とし、1939年に夕張製作所に譲渡。1940年2月27日に第2工場への0.4kmを新たに運輸開始した。1965年北炭機械工業専用鉄道に改称。 新夕張炭砿(株)専用鉄道 鹿ノ谷 - 熊ノ沢 (0.9km) 1909年11月6日 - 1972年 石狩石炭が使用開始した専用鉄道で、1920年北炭に譲渡。路線の一部は夕張鉄道に充用されて廃止となった。 北海道炭礦汽船(株)夕張炭礦専用鉄道 新夕張 - 夕張丁未 (4.2km) 1927年1月8日 - 1951年12月1日 北炭夕張炭礦の坑内充填用火山灰と炭鉱用資材輸送を目的とした専用鉄道。 中間の高松に乗降場が設けられ、従業員輸送を行ったこともある。1948年には新夕張 - 高松間の電化を認可申請して旭川市街軌道より電車2両を購入したが、資金難により計画中止となった。 1951年に国鉄夕張駅接続の国鉄請願側線に変更され、専用鉄道としては廃止届が出された。
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