技術批判の思想・哲学
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「ジャック・エリュール」の記事における「技術批判の思想・哲学」の解説
エリュールのポレミカルな主著『技術社会』は現在、科学技術社会論(STS)や技術哲学の領域で、無視できない一つの参照枠となっている。同書でエリュールは、グローバルな拡張力を持つ「技術」のダイナミクスが社会のあらゆる領域の隅々にまで浸透し、人間存在がその構造連関に強制的に組み込まれていく事態を描写した。技術の「自律性」、その自己推進的・自己産出的な発展力に対してほぼ全面的な「否」を投げつけるその主張は、現代における人間存在の「水平化」を徹底した批判したキルケゴール、資本主義社会における人間疎外の問いを鋭く洞察した青年マルクス、近代社会の合理化のパラドクスをいち早く冷徹に透視したヴェーバー、近代の「啓蒙」と「野蛮」の弁証法を剔抉したホルクハイマーとアドルノなど、モダニティの行方を根底から問うた思想家たちの思想と符節を合わせている。 『技術社会』は、1954年の刊行当時のフランスではほとんど反響を呼ぶことはなかった。その10年後、1964年にロバート・マートンの序文が付された『技術社会』英訳版が、『すばらしき新世界』の著者オルダス・ハクスリーの肝煎りで刊行され、同時代のアメリカで啓発的な技術批判の書として、セオドア・ローザック、ヘルベルト・マルクーゼなどによる一連の体制批判の書物と並んで、広く注目を集めるに至った。技術の自律性と人間のエージェンシーの喪失を主題とするエリュールの思想は、現代社会の基本的性格とそこで人間が置かれている条件を考察するための、様々な糸口を与えるものであった。 だがその一方で、エリュールの仮借ない社会批判は、技術社会の袋小路からの明朗な抜け道やその手がかりを与えず、具体的な問題に対するプラグマティックな取組み、漸次的な社会改良への志向も基本的に欠落させているとして、しばしば激しい憤怒をも引き起こした。例えば、著名な未来学者アルヴィン・トフラーはその著書『未来の衝撃』の中で、エリュールを「一群の未来憎悪者と技術恐怖症患者」の「最も極端な」論者、「フランスの宗教神秘家」として一蹴している。現在でも、社会構築主義(社会構成主義 social constructivism)の立場からテクノロジーを論じるSTS論者の間では、一般にエリュールの技術論はテクノロジーの自律性と拘束力を不当に誇張した技術決定論の典型と見なされる傾向にある。 『技術社会』以降、エリュールの技術批判は、1962年の『プロパガンダ』(Propagandes)、1965年の『政治的幻想』(L'illusion politique)、1977年の『技術システム』(Le système technicien)、1988年の『技術論の虚勢』(Le bluff technologique)などの著作で展開された。 また、アナーキズムとキリスト教の親和性と緊張に着目した著書として、1988年の『アナーキーとキリスト教』(Anarchie et christianisme)がある。
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