戸田松平家の時代とは? わかりやすく解説

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戸田松平家の時代(第1期)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 07:24 UTC 版)

松本藩」の記事における「戸田松平家の時代(第1期)」の解説

上野高崎藩5万石より松平康長2万加増の7万石で入封する。康長は家康の養妹を妻とする有力な譜代大名であり、寛大かつ温厚な人柄第2代将軍徳川秀忠信任され第3代将家光補佐命じられた。藩政においても在地地侍72名を松本召し抱え地方知行家臣土地与え制度)から蔵米制に改め兵農分離完成させ、領内15組に分け新し行政区画創設した寛永3年1626年)から寛永8年1631年)にかけては領内に総検地実施した。この検地に伴い区画割り行なわれた。康長は寛永9年1632年12月松本死去。跡を継いだ康直は寛永10年1633年4月播磨明石移封された。

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戸田松平家の時代(第2期)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 07:24 UTC 版)

松本藩」の記事における「戸田松平家の時代(第2期)」の解説

水野家改易後10月、かつて松本藩であった松平康長系統継いでいた志摩鳥羽藩主の松平光慈が6万石入り以後戸田松平家9代の支配を経る。松平光慈移封に関してはこの2ヶ月前の8月(あるいは9月)に光慈が老中松平乗邑鳥羽の地は領分狭くて収納少なく手向甚だ難渋して家来撫育行き届かず公務甚だ心許ないとして自ら請願し松本への移封望んだといわれる。だが入封直後享保12年1727年)閏1月1日には本丸御殿火災見舞われた。光慈は戸田十五郎を登用して享保財政改革行なった。既に戸田松平家は前の火災をはじめ、引越し費用合計2500両の借財重ねており、財政難はこの時から始まっていた。光慈は自ら藩財政危急家中訴え倹約リストラ推し進めた一方で領民に対して法度制定し治世基本法とした。光慈は早世して弟の光雄が第2代藩主となり、彼は武芸重んじて奨励した。だが光雄も若死し、2代藩主連続して早々に不幸が相次いだ物入りのため、借財1万8000両に膨らむことになったこのため宝暦7年1757年)から家臣俸禄減知が行なわれ、その後明和から文久まで3年から5年の期間で減知が繰り返された。このため領民からの御用金いわゆる拝借金への依存度が高まり以後廃藩まで戸田松平家御用金頼み財政続いた安永期に財政再建目的とした藩政改革が第5代藩主光悌により行なわれたが、あまり効果はなかった。 第6代藩主光行幕府老中松平定信影響受けて財政再建を主とした厳し倹約令を出すなどした寛政の改革行なう。また藩校崇教館創設された。文化・文政期にも藩政改革行なわれている。 幕末になると、安政2年1855年)より、藩主松平光則によって財政軍制中心とした藩政改革が行なわれた。天狗党の乱では元治元年1864年11月松本藩兵は諏訪藩兵と共同して中山道和田峠天狗党交戦したが、敗北している(樋橋戦争)。長州征討でも両次幕府方として参戦しているが、いずれも揃えでの参加であったため戦闘には至っていない。だがこれらの戦争松本藩財政はいよいよ逼迫した。 慶応4年1868年)の戊辰戦争においては佐幕勤王かでなかなか藩論一致を見なかったが、東征軍松本到着直前になって勤王選択し3万両献上して帰順したその後新政府軍一員として宇都宮城の戦い北越戦争会津戦争参戦した最後藩主松平光則朝廷への版籍奉還上表明治2年1869年2月25日のことであった同年6月許可)。明治3年1870年)には藩知事となり、その下に大参事以下の役職置かれた。

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