戦後の艦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 02:20 UTC 版)
「ヘイゼルウッド (DD-531)」の記事における「戦後の艦歴」の解説
ヘイゼルウッドは1951年9月12日、サンディエゴで再就役した。試運転後、1952年1月4日にサンディエゴを出航し、1月21日にロードアイランド州ニューポートに到着、大西洋艦隊に加わった。東海岸とカリブ海での作戦及び演習を行い、1953年12月7日に極東に向けてニューポートを出航した。ヘイゼルウッドは1954年1月12日、真珠湾を経由して東京に到着し、その後数か月間任務部隊で活動し、朝鮮戦争の休戦を目的として大韓民国沿岸を巡視した。1954年5月28日に米国へ向けて香港を出発し、スエズ運河を通って7月17日にニューポートに到着した。 その後数年間、ヘイゼルウッドは東海岸沿岸、カリブ海及び地中海にて訓練と準備作戦を行った。1956年秋のスエズ危機ではヘイゼルウッドは第6艦隊に配備され、東地中海を巡視、緊張した国際情勢を安定させる一助となった。 1958年、ヘイゼルウッドはナラガンセット湾及びメリーランド州の海軍兵器研究所にて対潜水艦戦用のヘリコプターのテストを開始した。駆逐艦開発課に配属され、レーダーや電子対抗システムで使用される機器のテストに参加した。ヘイゼルウッドの主な研究開発作業には、対潜水艦ドローンヘリコプター(DASH)のテストが含まれていた。ヘイゼルウッドは艦内の設備を試験に提供し、高度で重要なASW兵器システムであるDASHの完成を可能とした。1963年8月だけでも、ドローンヘリコプターは多用途の駆逐艦の飛行甲板に1,000回着陸した。 試験的な開発に加えて、ヘイゼルウッドは駆逐艦に割り当てられた多くの任務に従事し続けた。アメリカが1962年10月にキューバへの攻撃ミサイルの導入をめぐってロシアと対峙したとき、ヘイゼルウッドは再び問題を抱えたカリブ海において対潜水艦哨戒を行った。ヘイゼルウッドは、キューバの検疫が発効した直後の11月5日にグァンタナモ米軍基地に到着し、キューバ危機の間警戒を続け、第84任務部隊の火力支援船として機能した。 ヘイゼルウッドは1963年6月にDASHのテストを再開し、その年の後半に船上着陸支援装置(SLAD)の船上試験を実施した。翌年は東海岸沿岸にて開発と戦術の両方の作戦を続けた。ヘイゼルウッドは1965年3月19日に退役し、大西洋予備艦隊に入った。ヘイゼルウッドは1974年12月1日に海軍船籍から除籍され、1976年4月14日に売却された。
※この「戦後の艦歴」の解説は、「ヘイゼルウッド (DD-531)」の解説の一部です。
「戦後の艦歴」を含む「ヘイゼルウッド (DD-531)」の記事については、「ヘイゼルウッド (DD-531)」の概要を参照ください。
- 戦後の艦歴のページへのリンク