戦後の表彰
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「イレーナ・センドラー」の記事における「戦後の表彰」の解説
1965年、センドラーはイスラエルのヤド・ヴァシェム・ホロコースト記念館 (Yad Vashem) によって「諸国民の中の正義の人」に認定され、 これは彼女が共産党政府から渡航許可を得た1983年に贈られている。またイスラエル協会からは「騎士十字勲章」を受けている。 2003年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世はセンドラーに親書を送り、戦中の献身的な活動を賞賛した。 2003年10月10日、イレーナ・センドラーはポーランド政府から「白鷲勲章」を授けられた。これは民間人に贈られる最高位の勲章である。また、ワシントンのアメリカ・ポーランド文化センターから「ヤン・カルスキ (Jan Karski) 記念愛と勇気の賞」を贈られた。 2007年3月14日、センドラーはポーランド上院から表彰された。そこでポーランド大統領レフ・カチニスキは「彼女はノーベル平和賞に値する」と述べた(ノーベル平和賞の候補者は発表前には秘密とされる)。センドラーは97歳になっており、表彰式のために養老院を出ることができなかったが、代理のエルジュビェタ・フィコフスカがセンドラーの声明を読み上げた。フィコフスカは戦中にセンドラーが救ったユダヤ人の赤ん坊のうちの1人であった。 センドラーは「ジェゴタの児童関係部門」の最後の生き残りであった(この部門は1943年から第二次世界大戦が終了するまでセンドラーによって指揮された)。彼女は「活動に関わった他の仲間たちが長く生きられず、栄誉を受けることができなかったことが自分の心に影を落としている」と述べている。
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