戦後の英仏両国とは? わかりやすく解説

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戦後の英仏両国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 05:58 UTC 版)

1797年1月13日の海戦」の記事における「戦後の英仏両国」の解説

フランス側死傷者計算は困難を伴ったが、ドロワ・ド・ロム1300人の乗員のうち、103人が戦死し救出されたのは300人を超える程度だった。2月14日の朝から、1月18日の朝までにドロワ・ド・ロム死亡した乗員はおよそ900人にも上った。しかしフランス資料によれば1月17日18日に、アロガントとエイギュイユで救出され乗員500人には上るとしている。これによると犠牲者400程度ということになる。1840年建てられた、プロゼヴェにある事故犠牲者碑銘では、犠牲者600となっている[要出典]。イギリス側は、アマゾンでは戦死者が3人、難破による犠牲者が3人出て、15人が負傷した一方インディファティガブルでは、戦死者はひとりもおらず、18人が負傷したレイノルズ士官たちは、何週間か後にフランス捕虜交換され慣例により、軍法会議での敗因調査は、法廷長官それぞれ意見述べて円満解決したレイノルズその後大型フリゲート艦ポモン(フランス艦ポモーヌ)の指揮官となった。2隻のフリゲート艦の上海尉指揮官昇進し、ヘッドマネー(敵艦乗員数をもとに割り出した拿捕船の賞金で、負けた側の船が破損した場合支給される)は乗員たちに支給された。ペリューその後1年間ブレスト沖でインディファティガブル指揮続け多くフランス商船捕らえた。後にペリュー数度昇進経て1815年ナポレオン戦争末期にはエクマス卿となり、地中海艦隊最高指揮官となったレイノルズナポレオン戦争中の1811年セントジョージ英語版)の難破により戦死したラクロスとユンベールは、艦を失ったことによる非難受けずラクロス准将から提督昇進し、後にスペイン大使となった。ユンベールの方は、その次の、そしてやはり成功しなかったアイルランド侵攻軍を率い計画立て、バリナマックの戦い英語版)で降伏したイギリスでは、この戦い当時賞賛され、そして第一海軍卿ジョージ・スペンサーはこう述べた。「かつてこれほどまでに海軍伝記彩った偉業はなかったと私は信じている」歴史家のジェームズ・ヘンダーソンは「これは、武器と、航海術のなせるわざであり、かつて見たともなくこれから見ることもない」そしてリチャード・ウッドマンは、「闇が覆い、または月光が照らす荒れ狂う夜に航海術見せたまぶしいばかりの戦闘」と評した50年後、この戦闘はサービスメダル(英語版)の対象となり、「1797年1月13日インディファティガブル」と「1797年1月13日アマゾン」の文字入ったメダルが、その当時存命であった参戦者へ贈られた。

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戦後の英仏両国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 02:52 UTC 版)

栄光の6月1日」の記事における「戦後の英仏両国」の解説

イギリスフランスも、この海戦勝利を主張したイギリス終始戦場主導権握りつつ、自国の艦を1隻も失わずフランス艦7隻を捕獲または撃沈したフランス自国不可欠な輸送船団を、大きな損失もなく大西洋通過させフランス到着させた。2つ艦隊は、それぞれの国において賞賛と批判浴びることとなった批判戦闘にあまり貢献した思われない艦長向けられたものだったスピットヘッドイギリス艦隊は、ジョージ3世はじめとするすべての王族の訪問という厚遇受けた

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