戦後の船歴とは? わかりやすく解説

戦後の船歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 01:17 UTC 版)

トーゴ (夜間戦闘機指揮艦)」の記事における「戦後の船歴」の解説

終戦時キールにいたトーゴ戦利品として最初1945年8月13日イギリスへ引き渡されその後1946年1月15日アメリカ海軍の手渡りポーランド人捕虜本国送還使用された。3月14日ノルウェー海軍引き継がれ1946年12月に「スヴァールバルKNM Svalbard改称)、以後ドイツ占領のための兵員輸送を行う補助艦艇として使用された。この時のトーゴ収容定員900名に増加しており、1947年12月から1949年12月まで国際難民機関によりヨーロッパから北アメリカオーストラリアへ強制避難民移送用にチャーターされた。第5艦隊の「スヴァールバル」(Svalbard)として1948年6月から1949年10月まで6回の航海行いオーストラリア移住のために合計5,242名の強制難民運んだ1954年から1956年にかけて船主が何代か変わり船名も「ティルトホーン」(MS Tilthorn 1954年4月)やその後に「ステラ・マリーナ」(MS Stella Marina 1954年7月)と変遷した後に1956年11月に元々の船主である「ヴォエルマン=ドイチェ・アフリカ」(Woermann-Deutsche Afrika lineの手改装された。改装され元の「トーゴ」の船名戻ってこの後12年間をアフリカ航路就航した1968年3月トーゴパナマのタボガ・エンタープライズ社(Taboga Enterprises Inc.)へ売却され、「ラカイユ」(Lacasielle)と改名された。1976年4月8日に再びパナマのカリビアン・リアルエステート社(Caribbean Real Estate SA,)に転売され、「トピカ」(Topekaとなった。この船名のまま1984年最後の船主となる(Lineas Agromar Ltda)へ売却された。 トーゴ臨時傭船トピカ」として1984年11月21日メキシココアツァコアルコス沖合(北緯181012秒 西経941836秒 / 北緯18.17000度 西経94.31000度 / 18.17000; -94.31000座標: 北緯181012秒 西経941836秒 / 北緯18.17000度 西経94.31000度 / 18.17000; -94.31000)で風力8 mi (7.0 nmi; 13 km)の強風により投錨地から流され座礁して最後の日迎えた。この事故により船員27名中の2名が死亡したベルゲン要塞博物館展示されているノルウェー兵員輸送船スヴァールバル」の模型1948年12月オーストラリアへ移住のためにジェノヴァで「スヴァールバル」に乗船する強制難民

※この「戦後の船歴」の解説は、「トーゴ (夜間戦闘機指揮艦)」の解説の一部です。
「戦後の船歴」を含む「トーゴ (夜間戦闘機指揮艦)」の記事については、「トーゴ (夜間戦闘機指揮艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「戦後の船歴」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「戦後の船歴」の関連用語

戦後の船歴のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



戦後の船歴のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのトーゴ (夜間戦闘機指揮艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS