戦後の美濃忠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/23 05:35 UTC 版)
初代の創業以前から建っていた本店は太平洋戦争の戦火を免れており、建築から200年以上を経ていたとされる。3代目伊藤忠兵衛は数多くの財界人を輩出した名古屋市立名古屋商業学校を卒業し、茶人とのつながりを深めて様々な流派から菓子の用命を受けた。3代目は松坂屋名古屋本店、丸栄百貨店、名鉄百貨店、オリエンタル中村百貨店(現・名古屋三越栄店)などに積極的に出店を進め、1952年(昭和27年)に合資会社美濃忠を設立した。 5代目の伊藤健一の時代、1981年(昭和56年)3月15日には初の支店として檀渓通店を出店した。1982年(昭和57年)10月には株式会社美濃忠を設立して合資会社から組織変更。さらに平和公園店の新規開店、本社工場や本店店舗の新築などを行った。6代目の伊藤好子の時代には、親子和菓子教室などのイベントを開催して若い世代への働き掛けを行っている。
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