戦後の繁華街として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 17:25 UTC 版)
特に終戦後の高度成長期は梅田界隈が関西ビジネスマンの拠点として機能しており、ミナミに比べてキタは上品であるというイメージのもと、比較的高級なクラブやキャバレー、料亭なども堂山町に点在するようになった。特にパークアベニュー堂山沿いには、1951年(昭和26年)にはかの『北乃大和屋』が金台寺の手前にオープンし高級料亭として関西政財界の重鎮を引き付けた。1958年(昭和33年)には芝生の庭を持ち滝も流れる当時は東洋一と言われた豪華高級クラブであるクラブアローがオープンし、関西富裕層のジャズファンなどを虜にした。 バブル経済が崩壊する以前はその他にも高級料亭が数多く存在し、北新地ほどではないものの高級な遊び場としての堂山町が存在していた。バブル崩壊後はゲイ・タウンとして日本では新宿歌舞伎町につぐ規模となり、2005年ではゲイ向けの商業施設が年間を通じて150件ほど存在していた。また安価なキャバクラやガールズバーが急増した。
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