戦後の舞踊活動
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1944年 (昭和19) 秋に研究所を一時閉鎖し福島に疎開していた宮と江口は、戦後1946年 (昭和21) 藤原歌劇団公演「カルメン」の振付のために東京へ戻る。舞踊活動を再開し、1947年 (昭和22) には戦後第1回目の新作発表公演として、伊福部昭作曲「イゴザイダー」を帝国劇場で上演した。伊福部夫人のアイ (勇崎愛子) は以前、江口・宮舞踊団の踊り手であり、深井史郎作曲「都会」などに出演していた。1950年 (昭和25) 伊福部昭作曲『プロメテの火』を帝国劇場で上演、宮はゼウスに愛される美しいアイオの役を踊った。この作品はその後の10年間に100回近く全国を周って演じられた。 1965年 (昭和40) 宮は日本大学芸術学部講師となる。また「ダンスグループ宮」を結成し第1回および翌年の第2回公演で「タンゴ」ほかを踊る。1977年 (昭和52) に江口が77歳で没した後も舞踊の指導を続け、1997年 (平成9) には舞踊の動きを体系的にまとめた『動の美』を出版。前後してドイツ留学と戦地慰問を振り返った『陸軍省派遣極秘従軍舞踊団』を1995年 (平成7) に、更に自らの生い立ちから戦後の歩みまでの半生をつづった『みちゃ子が行く』を2004年 (平成16) に出版。2009年 (平成21) に102歳で没した。
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