賞賛と批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/30 15:00 UTC 版)
ソ連では、ウクライナにおける革命の中のひとつの大きな出来事としてこの事件を記念した。1月蜂起は、しばしば反革命的ブルジョワ主義者や民族主義者に対する労働者階級による正統的な革命的反乱として語られた。 アルセナール工場に立て籠もった労働者を守った当時の壁は、市議会によってキエフ地下鉄のアルセナーリナ駅正面から南に伸びる「モスクワ通り」(Московська вулиця)に移設され、保存された。場所は地下鉄駅のすぐ近くで、駅前広場にはこれに加えて1月蜂起を記念する碑も建てられている。なお、この駅名もこの蜂起を記念したものである。以前は駅内ホールに1月蜂起を記念するレリーフが飾られていたが、1990年に撤去された。 アルセナーリナ駅前を通ってキエフ・ペチェールシク大修道院(ペチェールシカ・ラーヴラ)まで南東に伸びる通りは2007年まで「1月蜂起通り」(Січневого Повстання Вулиця)と呼ばれていたが、ペチェールシク大修道院の修復に貢献したイヴァン・マゼーパを記念した「イヴァン・マゼーパ通り」に改名されている。なお、この通りを北西方面に直進すると駅前広場で通りの名前が変わるが、その名称はウクライナ人民共和国の大統領ムィハーイロ・フルシェーウシクィイにちなんで「ムィハーイロ・フルシェーウシクィイ通り」(Грушевського Михайла вулиця)となっている。1922年から1944年までは、現在の「モスクワ通り」が「1月蜂起通り」と呼ばれていた。駅前広場は、1991年にそれまでの「革命広場」から「1月蜂起広場」(Арсенальна площа)に改称された。 また、1929年には、オレクサンドル・ドウジェーンコ監督によるロシア革命を記念する映画シリーズ中の一作として『アルセナール』がキエフ製作された。 一方、ウクライナ民族主義的観点からは、1月蜂起はウクライナに対する裏切り行為として批判的に見られている。ソ連時代にはそのような考えが公に語られることはなかったが、ソ連崩壊に前後するウクライナ民族主義者の発言力の増大後は、公然と批判することもできるようになった。強い民族主義視点からではなくても、武装蜂起という暴力的手段は一般に現代では好まれておらず、認められるとしても革命という特殊事情の下でのみであるというのが大方のところである。
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