戦前の規制法制定・以降の法改正
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「大麻取締法」の記事における「戦前の規制法制定・以降の法改正」の解説
1912年(明治45年)、第1回国際あへん会議において、あへん、モルヒネ、コカインの乱用を禁止する決議がなされたが、第一次世界大戦によって批准は伸び1919年となった。この時、インド大麻については、科学的見地から研究がなされることが望ましいとされた。 その後、1925年(大正14年)、第二阿片会議条約において、「インド大麻」として、インド大麻製剤の医療・学術目的のみの使用制限、輸出入や不正取引の規制に関する規定が設けられることで、大麻の国際的規制がスタートした。 これを受け、日本では、1930年(昭和5年)に「麻薬取締規則(内務省令17号)」が制定され、ここにおいて初めて大麻が麻薬指定された。当時の規定は、大麻の製造(内務大臣への届出)、輸出入・譲渡手続き等に関するものであった。 その後、1943年(昭和18年)制定の薬事法に麻薬取締規則は統合されるが、大麻は引き続き麻薬指定を受け、規制を受けていた。 第二次世界大戦後、大麻の取締りはいわゆるポツダム緊急勅令(昭和20年勅令第542号)に基づくポツダム省令として制定された「麻薬原料植物ノ栽培、麻薬ノ製造、輸入及輸出等禁止ニ関スル件(昭和20年厚生省令第46号)」により開始され、大麻は麻薬と指定され大麻草の栽培等が全面的に禁止された。 その後、同じくポツダム省令として「大麻取締規則(昭和22年厚生・農林省令第1号)」が制定され麻薬から独立して大麻の規制が行われるようになり、許可制で大麻草の栽培が一部認められ、併せて、大麻の輸入・輸出・所持・販売等が規制された。 1948年(昭和23年)、阿片法などを一本化した麻薬取締法が(昭和23年法律123号)が制定されたが、大麻栽培は主に農業従事者、モルヒネ等は主に医療機関関係者であるとの相違も踏まえ、麻薬取締法とは別に、大麻取締法が新たに制定され、大麻取締規則を廃止された。大麻取締法では、大麻の取扱いを学術研究及び繊維・種子の採取だけに限定し、大麻の取扱いを免許制とした。また、無免許での大麻の所持・栽培・輸出入等を禁止し、その罰則を規定した。 大麻取締法は十数回改正されている。1953年(昭和28年)の改正では大麻の定義が「大麻草及びその製品」と改められ、大麻草の種子は規制の対象外とされた。1963年(昭和38年)の改正では罰則の法定刑が引き上げられた。1990年(平成2年)の改正では栽培・輸入・輸出・譲渡し・譲受け・所持等についての営利犯加重処罰規定、および、未遂罪、栽培・輸入・輸出についての予備罪及び資金等提供罪、周旋罪等が新設された。 近年、麻薬等の国際不正取引が増加し深刻な状況となっているため規制を強化すべきとの国際世論が高まり、1984年(昭和59年)の国連総会において麻薬及び向精神薬の不正取引の防止に関する国際連合条約の検討が開始され、1988年(昭和63年)ウィーンにて採択された。 本条約に対応して1991年(平成3年)に大麻取締法を含む麻薬関連法の改正が行われた。この中で資金等提供罪の処罰範囲の拡大、大麻の運搬の用に供した車両等への没収範囲の拡大、国外犯処罰規定の新設等が行われた。
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