戦前の艦隊勤務
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1921年(大正10年)6月、海軍少尉任官。戦艦「長門」、戦艦「山城」乗組を経て、海軍砲術学校、海軍水雷学校を卒業し、巡洋艦「阿蘇」、「第三号掃海艇」艤装員・乗組。1923年(大正12年)の関東大震災においては震災救護任務に従事。海軍中尉となった後、測量艦「松江」の分隊長を経て、横須賀鎮守府の横須賀海兵団の分隊長兼教官となった。 1926年(大正15年)12月、海軍大尉となり、翌年、第一遣外艦隊司令部附として、巡洋艦「利根」に乗艦。戦艦「扶桑」、特務艦「隠戸」、戦艦「伊勢」の分隊長を経て、1931年(昭和6年)、樅型駆逐艦「薄」艦長兼「蔦」艦長となり、順調に海軍将校の道を歩んでいた。 しかし、1932年(昭和7年)5月15日に発生した五・一五事件を契機に、5月30日に同艦長を免ぜられ、第二遣外艦隊の海防艦「対馬」砲術長を命ぜられたが、わずか一週間でその任を解かれ、予備役に編入された。
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