戦前の船原ホテルとは? わかりやすく解説

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戦前の船原ホテル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 23:29 UTC 版)

船原ホテル」の記事における「戦前の船原ホテル」の解説

船原ホテルは、遅くとも1926年大正15年)には存在していたことが確認でき、この年の『読売新聞10月26日朝刊の9頁に掲載され広告には「伊豆仙境 和洋両式 船原ホテル 日本唯一最新式浴室茶代廃止」と記されている。この「伊豆仙境」というキャッチフレーズは、運営母体次々と変っていったのちの半世紀後まで、変らず使われ続けることとなる。 第二次世界大戦以前船原ホテルは、戦後の姿に比べる小規模なホテルであった1928年昭和3年)の『温泉叢書』は、「船原ホテルは、船原小学校対岸にある、コンモリ繁つた中に瀟洒なクリーム色木骨造り洋風二階建建築で、外国山間にでもありさうな病院風のホテルである」と解説している。1930年昭和5年)の温泉案内では「高貴的な大変優雅な温泉ホテル」「日本座敷西洋室も、至れ尽せりで、第一茶代廃止実行如何にも気分がよい」と評されており、またテニスコート大弓ピンポンラジオ温泉プールなどの設備有していた。伏見若宮博義王)が滞在したこともあったという。 女優及川道子1929年昭和4年12月に、映画恋愛第一課』のロケ船原ホテル宿泊し、「白いセツト式の建物一寸官邸公使館感じで、内部設備万事快く出来てます。静かに更けてゆく南伊豆の晩秋の夜、枕頭聴く渓流の音は、ひとしほ旅愁をそそりました」と記している。 戦後大改築が行われる前に訪れた岩佐東一郎ホテル主人から受けた説明によると、元は順天堂佐藤ドクター病院であったものを改造した建物で、のちに改装したものの、当初病室そのまま客間として使用したため、客から「何だい、温泉入湯でなくて入院した気分だね」とよく笑われたという。

※この「戦前の船原ホテル」の解説は、「船原ホテル」の解説の一部です。
「戦前の船原ホテル」を含む「船原ホテル」の記事については、「船原ホテル」の概要を参照ください。

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