戦前の船原ホテル
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船原ホテルは、遅くとも1926年(大正15年)には存在していたことが確認でき、この年の『読売新聞』10月26日付朝刊の9頁に掲載された広告には「伊豆の仙境 和洋両式 船原ホテル 日本唯一最新式大浴室付 茶代廃止」と記されている。この「伊豆の仙境」というキャッチフレーズは、運営母体が次々と変っていったのちの半世紀後まで、変らず使われ続けることとなる。 第二次世界大戦以前の船原ホテルは、戦後の姿に比べると小規模なホテルであった。1928年(昭和3年)の『温泉叢書』は、「船原ホテルは、船原小学校の対岸にある、コンモリ繁つた林の中に、瀟洒なクリーム色の木骨壁造りの洋風二階建の建築で、外国の山間にでもありさうな病院風のホテルである」と解説している。1930年(昭和5年)の温泉案内では「高貴的な大変優雅な温泉ホテル」「日本座敷も西洋室も、至れり尽せりで、第一茶代廃止の実行が如何にも気分がよい」と評されており、またテニスコート、大弓、ピンポン、ラジオ、温泉プールなどの設備を有していた。伏見若宮(博義王)が滞在したこともあったという。 女優の及川道子も1929年(昭和4年)12月に、映画『恋愛第一課』のロケで船原ホテルに宿泊し、「白いセツト式の建物は一寸官邸か公使館の感じで、内部の設備も万事快く出来てゐます。静かに更けてゆく南伊豆の晩秋の夜、枕頭に聴く渓流の音は、ひとしほ旅愁をそそりました」と記している。 戦後、大改築が行われる前に訪れた岩佐東一郎がホテルの主人から受けた説明によると、元は順天堂の佐藤ドクターの病院であったものを改造した建物で、のちに改装したものの、当初は病室をそのまま客間として使用したため、客から「何だい、温泉へ入湯でなくて入院した気分だね」とよく笑われたという。
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