強制移住とインディアン絶滅政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 07:32 UTC 版)
「トーマス・ジェファーソン」の記事における「強制移住とインディアン絶滅政策」の解説
ジェファーソンはインディアンたちが同化政策に抵抗したならば、彼らをその領土から強制退去させ、白人のいない西部に強制定住させるべきだと考えていた。ジェファーソンを始め、白人たちはインディアンの部族国家での酋長を独任制の首長と誤解し、彼らと条約を結べば全部族民がこれに従うものと捉えて、和平委員会を酋長たちと面会させ、数々の条約に署名させた。この「署名」とは、文字を持たないインディアンに「×印」を書かせる、というものであった。 インディアンの社会は基本的に合議制であり、「部族長」や「首長」は存在しない。白人たちが「指導者」だと思っている酋長は、単に部族の中の「調停者」、「世話役」あるいは「奉仕者」に過ぎず、彼らに部族民を「率いる」ような権限はなかった。 だが白人たちは酋長たちの署名をすべての条約の承認と捉え、これに基づいて強制移住その他インディアン政策を推し進めた。部族の合議を経ていない力づくの「和平」は、部族を反発させるだけだった。「すべてのものを共有する」インディアン文化において、土地は誰のものでもなかった。「酋長が紙に×印を書いたから見たこともない遠くの土地へ引っ越せ」と強要されて、黙っているインディアン部族などなかった。白人の誤解は血みどろの「インディアン戦争」を生み、合衆国による民族浄化を激化させていった。 1807年、ジェファーソンは彼は陸軍長官のヘンリー・ディアボーン将軍(インディアン問題のトップ閣僚)にこう指示している。 インディアンの抵抗者とは「手斧 (the hatchet) で会う」(殺し合う)べきだ。そして、...我々はどんな部族だろうと、その部族が皆殺しにされるか、ミシシッピ川の向こうへ追い詰めるまで、我々は決してそれ(手斧)を置かないだろう。...戦争では、彼らは我々の一部を殺すだろう。我々は、彼らの全てを破壊するのだ。 1812年、ジェファーソンは次の声明を出した。 アメリカ人はインディアンどもを、森のけだものと一緒にストーニー山脈の奥へ押し込まなければならない。 1813年、ジェファーソンはアレクサンダー・フォン・フンボルトに宛てて次の手紙を送った。 友よ、ご存知のように我々は我々の近くに居る原住民の幸福のために、ここで善意ある計画を追求している。我々は彼らとの平和を保つために何も出し惜しみしなかった。彼らに農業と最も必要な技術の基本を教えること、および彼らの間に別の資産を確立することで産業を奨励することだ。この方法で、彼らは中庸な規模の土地の所有で生計を立て、拡大していくことができるようになったはずだ。彼らは我々と血を混じらわせ、遠くない時点で我々と融合し、意気投合するはずだった。この戦争(米英戦争)を始めたときに、我々は彼らに和平と中立を保つよう圧力を掛けたが、イギリスの興味ある無節操な政策がこれら不幸な民を救うための我々の努力をすべて台無しにした。彼らは我々の近くにいる部族の大半を唆して我々に手斧を向けさせ、フロンティアにいる女性や子供を急襲して残酷な虐殺を行った。我々はインディアンどもの皆殺しを遂行すべきである。もしくは、我々の手の届く範囲の向こう側の新しい「席」に、彼らを追いやるべきだ。 ジェファーソンの執拗なインディアン絶滅政策について、優生学思想と関連付ける研究者も多い。歴史家のデビッド・スタンナードは、その著書でこう述べている。 ジェファーソンの用いたこれらの同じ言葉が、1939年にドイツの指導者によって宣言されて、欧州のユダヤ人達に向けられたならば、これらは現代の記憶として刻み込まれるだろう。しかしこれらはアメリカの創立者のうちの1人によって発表されたので、...大半の歴史家にとっては、ジェファーソンの「知恵」と「人道性」に対する彼らのしつっこい称賛のなかで、都合よく無視されてしまっているのだ。
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