引用される理論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 05:55 UTC 版)
やおいについての論考は様々であり、1人の論者が複数の説を挙げていることも多い。フェミニズムやジェンダー論の観点から語られることが多い。森川嘉一郎は、いわゆるエロゲーの愛好家が男性のごく一部であるのと同様に、いわゆる腐女子は女性のごく一部にすぎないにもかかわらず、やおい・ボーイズラブといった嗜好があたかも女性全体に通じるものであるかのように扱われていることを指摘し、男性と女性の非対称性を扱うジェンダー論のように一般女性とオタク女性(腐女子)を対比するための体系的理論が用意されていないことに起因しているとしている。なお、やおい・BL文化をフェミニズムやジェンダー思想で過剰に正当化している、腐女子やBLをフェミニズムやジェンダー思想の普及・実現に利用していると思われた場合、そういった主張・行動をする腐女子・腐男子が「腐ェミ」と呼ばれ批判されることもある。 以下に述べるように、やおい系二次創作に関する論考で引用される理論としては、社会学者のイヴ・セジウィックが提起したホモソーシャル理論、文芸評論家のスタンリー・フィッシュによる解釈コード・解釈共同体の理論、哲学者のミシェル・ド・セルトーが提起した「密猟」の概念などがある。 文学研究者の村山敏勝は、セジウィックの著作『男同士の絆 イギリス文学とホモソーシャルな欲望』の書評にて、セジウィックの試みを「他者の欲望を推し量り、それに寄り添い、同一化しえないものに同一化する可能性に向けての読みを実践している」と評価し、それを「やおい」と関連付けて論じた。それ以降、やおい論においてセジウィックが提唱したホモソーシャルの理論を援用することが定石となった(例えば東園子・金田淳子・高橋すみれ、堀あきこ、藤本由香里 など)。ホモソーシャルとは男性同士の間で結ばれ、同性愛的な側面を持ちながらも同性愛自体は明確に拒否されるような連帯関係であるが、やおい系二次創作は「作品中のホモソーシャルな関係をホモセクシュアルな関係に読み替える想像力」というように説明されることもある。一般に男性同士のホモソーシャル的な関係は公的領域において結ばれるが、それを腐女子の想像力によって私的領域に持ち込むことによってホモセクシャルに読み換えられていると考えられる。三浦しをんは、ボーイズラブ漫画にきわめて多様な職業の男性が登場することに注目し、その理由を「仕事によって男性同士の関係にリアリティが生まれるから」だと分析している。他方、石田仁は、ホモソーシャル概念に適合しやすい作品だけが分析の対象となりそうでない作品が研究対象から取り残されていく危険性を指摘している。なお、腐女子たちが形成するコミュニティには女性版ホモソーシャルともいえる関係性があるとの指摘もある。詳細は腐女子#コミュニティを参照。 スタンリー・フィッシュは、読解のための特有の「解釈コード」を共有する集団である「解釈共同体」とし、テクストはそれ単独で意味を持つのではなく、その解釈コードによって意味を見出され、それが共同体の合意を得ることによって強化されてゆくとした。この理論に基づけば、腐女子たちは大きくは「男性同士の友情の性愛への読み替え」という共通の解釈コードを持ち(細かくは「自分好みのカップリング」という細分化された解釈コードを持ち)それを共有する同人仲間という解釈共同体を形成し、同人誌上の雑談ページやインターネット上のコミュニティでのやりとりで原作というテクストに対する解釈の確認や議論を行っているのだと考えられる。解釈共同体の概念は、金田淳子・高橋すみれ・笠間千浪 が用いている。 ミシェル・ド・セルトーは、自身の居場所を確保できない弱者が他者の居場所を密かに利用することを「密猟」という概念として捉えたが、前述のように本来であれば(恋愛要素の多い)少女漫画のターゲットとして想定されているはずの少女たちがあえて(恋愛要素の希薄な)少年漫画を原作として選択して、それを恋愛の話に読み替えるということは、この「密猟」という概念に相当するともいえる。密猟の概念は、前述(#日本国外での動向)した欧米のスラッシュ文化の研究にも援用されることがある。
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