廻瀾條議と解腕痴言とは? わかりやすく解説

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廻瀾條議と解腕痴言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 03:01 UTC 版)

久坂玄瑞」の記事における「廻瀾條議と解腕痴言」の解説

玄瑞は謹慎中の文久2年1862年8月、『廻瀾條議』と名付けた建白書藩主に上提した。これが藩主受け入れられ長州藩藩論となる。藩論航海遠略策捨て、完全に尊王攘夷変更された(長井翌年2月自刃を命ぜられた)。また翌月には、全国尊攘派同士向けた実践綱領の書『解腕痴言』を書いた。 『廻瀾條議』と『解腕痴言』は、結局西洋強大な武力屈服する形で開国するではなく対等に交渉する気力奮い起こすべきであり、それによって国力回復させ、軍備整えた後、対等な立場条約締結に及ぶ」という意見であった。これは師松陰開国攘夷論踏まえたのであるが、他方、「攘夷」という主張は、政権幕府から朝廷回復させる倒幕という目的からも有効であると玄瑞は力説した。|『廻瀾條議』の要点次の通りである。 (1)汚名を蒙って処刑され吉田松陰遺骸改葬して、その「忠烈節義」「殉国の志」を顕彰し、藩内で誰の意見正しくまた邪であったかをはっきりさせること。(2)安政五年の修好通商条約をはじめ幕府怯懦方策により、日本将来植民地同様となる危機生じており、その責任を負うべき井伊直弼以下の閣僚はさらに安政の大獄という暴虐責めをも負うべきで、厳罰に処さねばならない(3)下田和親条約までは良く安政五年の条約はすべて下田条約にまで引き戻し外国貿易長崎下田函館の三港に限ること。 (4)安政五年の条約違勅大罪をも犯しており、「大義をもって論ぜば」幕府を「誅戮殲滅」させてもいいのだが、朝廷が「ご寛容」に将軍過誤改め機会与えられたのだから、「長薩二藩」が「督責」して条約に関する処罰下田条約への引き戻しをさせねばならない。 (5)朝廷に「御政事所」を設けちくいち重要政務幕府から奏聞させ、また、御親兵」を置くなどして、ゆくゆくは天下の御威権」を「朝廷に帰」すべきだが、ものごとには順序が大切であり、まず先の項(4)を実現するようにもってゆき、もし「承服つかまつらず」は、「決闘死戦と御勇決猛断」をなされねばならない。 以上をなして、諸外国様子洞観し、海軍充実させ士気高めて積極海外雄飛せよ。 同年9月謹慎解かれた玄瑞は、早速活動開始する薩長土三藩有志の会合に出席し攘夷御下命勅使激励する決議をなした。また、9月末には土佐坂本龍馬福岡孝弟らと会い三藩連合近衛兵創設する件を議した10月、玄瑞は桂小五郎とともに朝廷尊王攘夷派三条実美姉小路公知らと結び、公武合体派岩倉具視らを排斥して朝廷尊攘化した。そして同年10月幕府攘夷督促するための勅使である三条実美姉小路公知と共に江戸下り幕府攘夷実行迫った。これに対し将軍徳川家茂翌年上京し返答する勅旨受け取った

※この「廻瀾條議と解腕痴言」の解説は、「久坂玄瑞」の解説の一部です。
「廻瀾條議と解腕痴言」を含む「久坂玄瑞」の記事については、「久坂玄瑞」の概要を参照ください。

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