庄右衛門忠政の家系とは? わかりやすく解説

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庄右衛門忠政(光忠)の家系(田原戸田家、下野国宇都宮藩主)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 04:22 UTC 版)

戸田氏」の記事における「庄右衛門忠政(光忠)の家系田原戸田家下野国宇都宮藩主)」の解説

戸田康光の弟・戸田右衛門忠政(光忠)の系統。 忠政の子忠次家康仕え忠次の子・尊次のとき三河国田原藩となった以後下総国佐倉藩肥前国島原藩などを経て下野国宇都宮藩主となり幕末至った支藩は2家(足利藩高徳藩)。足利藩初代田原藩主忠能の弟・忠次に始まる家系である。忠次200俵取の旗本であったが、その子・忠時のとき加増され宝永2年1705年下野国足利郡河内郡都賀郡1万1000石を領して足利藩立藩した。なお忠時の三男忠義分家し旗本となっている。一方で高徳藩は、宇都宮藩元治元年1864年)の天狗党の乱への関与疑われた際に朝廷働きかけ事態打開に功があった一門家老戸田忠至に、1万石が分与されて立藩されたものである藩主血筋だが当初200石の家臣であった。 また支藩でない尊次系の分家には、忠真の弟の忠章が3150石を分知され旗本になった家と、もう一人の弟・忠恒が本家家臣となった戸田三左衛門家の2つがある。忠章系はのち7000石となり忠友のとき本家を継ぐが、忠友の養子・鋠上野戦争戦死したため断絶した明治維新後、支藩含め大名だった3家はすべて子爵となった。 忠能・忠次以外の次の子3人(正次、生勝、忠高)の系統旗本となった。正次は300石、生勝1200石(のち分知により600石。分家全て1代で絶家)、徳川綱重仕えた忠高は2570石を知行した。忠高の次男・忠重は分家し新たに600石を知行した。 また、忠次以外の忠政の子たち(清勝、勝則、忠勝)も旗本となった清勝の家は200石のち400石、勝則は700石で嫡孫貞吉のとき2080石余となった貞吉嫡孫正吉のとき弟・義陳に580石余を分知1500となった。また貞吉の弟・吉連は150俵を知行している。忠勝はその子政次300石を得ている。なお忠勝の孫・恭光(茂睡)は歌人として名を馳せた家臣となった者もあり、忠勝の子・宗勝の戸田小膳家が宇都宮藩家老となっている。 一方、尊次の兄・三九郎清光の子・清堅は紀伊藩主徳川頼宣に仕官し3000石を知行した。 尊次の孫の忠昌は秋元富朝の娘を正室とし、その縁で忠昌の長男は富朝の養子となり秋元喬知名乗った以後も忠昌の子孫から秋元家養子入りする者が出ている。 明治以後の各家の当主来歴 宇都宮藩戸田家 戸田忠友ただとも宇都宮藩知事精華中学校創設貢献戸田忠庸(ただつね) 子爵戸田忠和(ただまさ)子爵法政大学卒。陸軍中尉任官後、経営者転ず。後に神官水無神社神主晩年大塚萬という結婚式場金閣寺模した施設神主として働き隠遁生活者のように暮らしひっそりと没す高徳藩戸田家田原戸田家傍系戸田忠至(ただゆき) 従五位下大和守。宇都宮藩戸田忠寛庶子・忠舜の次男宇都宮藩家老贈従二位子爵宇都宮藩から分知され高徳藩興す戸田忠綱(ただつな) 下野国高徳藩知事。のち藩庁移動したため曽我野藩知事となる。 戸田忠義ただよし子爵貴族院議員戸田忠粛(ただよし子爵大蔵官僚税務署長他、管理職歴任後、仙台財務局長を最後に退官足利藩戸田家田原戸田家傍系戸田忠行(ただゆき) 維新後従三位勲四等子爵貴族院議員足利学校再興戸田忠雄(ただお) 子爵東京美術学校日本画卒業後、錦城中学校教員など務める。 尊次系の系図 忠政(光忠) ┣━━┳━━┳━━┓ 忠次 清勝 勝則 忠勝 ┏━━┫ 清光 尊次 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┓ 忠能 忠次 正次 生勝 忠高 | ┏━━┫ ┃ ┃ ┣━━┓ 忠昌 忠昌 忠時 忠忠貞 忠春 忠重 ┏━━━╋━━━━━━━━━━━━━━┳━━┓ ┏━━┳━━┫ ┃ ┃ | ┃秋元喬知 忠真 忠章 忠恒 忠勝 忠義 忠囿 忠位 忠常 忠就 忠位 |━━┓ ┣━━┳━━┓ | ┣━━┳━━┓ ┃ ┃ ┃ ┃ 忠余 忠久 忠余 忠胤 九鬼隆抵 忠古 忠位 忠褒 忠則 忠城 忠栄 忠汎 忠義 ┏━━━╋━━━┳━━┓ ┃ ┃ ┣━━┓ |━━┓ ┃ ┃ ┃秋元喬求 忠盈 忠寛 木下俊胤 忠諏 忠寛 忠言 忠貫 忠則 忠周 忠雄 忠倚 忠真 | ┣━━┳━━┓ ┃ ┣━━┳━━┓ | | | | 忠寛 忠従 忠集 氏宥 忠諸 忠春 忠皎 忠喬 忠周 忠褒 忠皎 忠貫 ┣━━━━━━━━┓ ┃ | ┃ | ┏━━╋━━┓ | | 忠翰 忠舜 忠偲 忠春 忠禄 忠喬 忠釣 忠準 忠養 忠集 忠準 ┣━━┓ ┃ ┃ ┌──┨ | 忠延 忠温 忠至 忠友 忠文 忠行 忠養 | ┣━━┓ | | 忠温 忠綱 秋元興朝大久保忠宣の弟) 忠行 ┣━━┳━━┓ ┣━━┓ ┃ 忠明 忠文 忠恕 忠義 鹿園実博 忠雄 | ┃ ┃ 忠恕 忠粛 忠孝 | ┃ ┃ 忠友 忠邦 忠武 ┃ 忠庸 ┃ 忠和 尊次系以外の光忠(忠政)流諸家系図 光忠(忠政) ┣━━━┳━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 忠次 清勝 勝則 忠勝 ┏━━┫ ┃ ┃ ┣━━━┳━━━┓ 清光 尊次 勝吉 吉久 政次 渡辺忠 宗勝 ┃ ┃ ┣━━━━━━━━┓ ┃ ┃ 清堅 清次 貞吉 吉連 政勝 恭光(茂睡) ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 清正 清益 吉成 忠之 政武 ┃ | ┣━━━━━┓ ┣━━┓ | 清方 忠辰 正吉 義陳 忠光 忠陳 政貞 ┃ | ┣━━┓ | |━━┓ ┣━━┓ 清勝清 勝秀 政則 政則 忠陳 忠勝 政興 政恒 ┃ ┃ | ┏━━┫ | | 清福 忠久 勝便 政貴 勝便 忠勝 政恒 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━┓ ┃ 清郷 忠継 勝愛 政任 忠精 忠亮 忠明 ┃ ┃ ┃ | ┃ 清煕 忠明 勝英永 忠及 ┃ ┃ ┃ ┃ | 清章 保定 勝喬 市左衛門 忠亮 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 市右衛門右衛門 勝行 隆之助 忠清 ┃ 鎬次郎勝強 ┃ 次郎

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