年間40万km走行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 08:26 UTC 版)
「シトロエン・トラクシオン・アバン」の記事における「年間40万km走行」の解説
[要出典]リヨン近郊のロシュタイエでホテルを経営していたフランソワ・レコ(François Lecot 、1878年 - 1959年)は、1935年-36年にかけての1年間で、トラクシオン・アバンによる年間40万kmの走行記録を達成した。 レコは若い頃から熱心なアマチュアレーサーでもあり、一時はブガッティのディーラーを経営した経験もあったが、得意としたのは実用車を駆っての耐久走行であった。1929年に輸入車ディーラーからの依頼でフォード・モデルAのフランスでの公道耐久テストドライブを引き受け、翌1930年8-11月には低価格車の新興メーカー・ローザンガールの依頼で、ローザンガール5CV・LR2車で1日900kmを111日間、累計10万kmの公道耐久ドライブを達成した。1932年には再度、改良型のローザンガールLR4で同様な耐久ドライブを行っている。 レコは1934年、発売されて間もないシトロエン・トラクシオン・アバン7Cで仲間とともにパリ - モスクワ間往復5,400kmのドライブを敢行し、トラクシオン・アバンにいたく信頼を置くようになった。そこで彼は、7Sの改良型である11ALで年間走行距離レコードを樹立することを決意し、シトロエンに協力を要請したが、既に経営破綻を迎えていたシトロエン社からは断られた。レコはやむなく市販の11ALを自費購入して記録に挑戦した(シトロエン社のオーナーになっていたミシュランと交渉し、同社の本業であるタイヤの提供は受けることができた)。11ALは記録走行対策として、給油回数を減らすため65リッターの増加燃料タンク搭載、ヘッドライトの増設、ホーンの強化などを実施したが、基本性能面での特別な改造は施しておらず、記録走行期間中も消耗品の交換など一般的整備を受けただけであった。 リヨンを発着点に、パリ-リヨン-モナコのルート(延長1,170km)を選んだレコは、1935年7月22日から1年間、上記ルートを2日で全往復する過酷な計画を実行した。記録公認のため、フランス自動車クラブ(ACF)からのべ8人の立会人が出された。 レコと11ALの基本的な行程は、早朝3時30分にリヨン近郊ロシュタイエの自身のホテルを出発、昼前にACF本部のあるパリ・コンコルド広場へ到着すると30分以内に折り返し、夜にはロシュタイエに帰着。翌日はやはり3時30分発で、昼前にチェックポイントであるモナコのカジノに到着、モナコからまた折り返して夜にはロシュタイエに戻るパターンを繰り返すもので、レコの睡眠時間は夜の到着後、翌朝3時までの間の4~5時間に過ぎなかったという。酷使され続けた11ALは、レコの就寝中に専属メカニック2名が夜通し整備した。 この間、記録ルート上の国道を往来するトラックドライバーたちの間では、決まった時間帯、決まった一帯で頻繁に遭遇するナンバープレート「3057-RJ7」の1台のシトロエンの存在が話題になった。やがてその真意に気づいたドライバーたちは、シトロエン11ALが後方から高速で現れると、すぐに先を譲るようになったという。100~110km/h程度のトップスピードが可能であった11ALは、記録挑戦に際して原則90km/h以上を出さないように図られていたが、後年に比べ道路事情の悪かった当時は、それでも非常なハイペースのドライブであった。 10ヶ月目の1936年5月、記録車11ALはトラックとの接触事故でフロントを大きく破損したが、レコは記録達成続行を希望し、メカニックらの奮闘で75時間後には修復完了、記録走行が再開された。こうしてスタートから370日となった1936年7月26日に走行記録ドライブを終了。ACFによって公認対象とされた363日間(途中7日間はACFの認定から外された)で最終的に40万134kmの耐久走破記録を達成した。1日あたり1,102kmを走行した計算になる。 レコが単独ドライバーとして公道で打ち立てた年間走行距離記録は、のち、フランスのレーシングドライバーであるフィリップ・クーセノン(Philippe Couesnon)が、プジョー・607のディーゼルモデルに乗り、2002年4月22日までの355日間に走行時間4,888時間で50万kmを走破した(平均速度104km/h)ことで破られた。だが、65年間の技術と道路事情の進歩向上を加味してもクーセノンの記録更新がレコの25%増に留まったことは、レコの忍耐力とトラクシオン・アバンの高いポテンシャルを如実に示すものであろう。 レコの事例に限らず、性能記録達成に熱心であったアンドレ・シトロエン時代末期と異なり、経営破綻後のシトロエン社はレースやラリーなどには概して冷淡で、長くワークスチームを組むようなことはなかった。それでもトラクシオン・アバンは、ロードホールディング性能の高さや卓越した長距離巡航能力を評価され、少なからぬプライベートドライバーの手でラリーフィールドに参戦して好成績を残している。
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