年表・年譜とは? わかりやすく解説

年表・年譜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 03:47 UTC 版)

西岡京治」の記事における「年表・年譜」の解説

1933年昭和8年2月14日 - 日本統治時代の朝鮮京城府(現:大韓民国ソウル)で、解剖学者西岡辰蔵・利恵夫妻長男として生まれる。 1945年昭和20年) - 第二次世界大戦後日本に帰国して大阪府八尾市移住する大阪府立八尾高等学校卒業後、大阪府立大学農学部現・生環境科学部)に進学部活動海外農業研究会に所属していた。 大阪府立大学大学院農学研究科進み中尾佐助師事する大阪市立大学大学院理学研究科研究生として川喜田二郎薫陶を受ける1958年昭和33年) - 川喜田隊長とする大阪市立大学西北ネパール学術調査隊に参加し、このとき、二条大麦および六条大麦野生種発見する。この発見は、大麦栽培史空白部分補完する重要な学術業績となった1961年昭和36年) - 大阪府立園芸高等学校教諭になる。結婚1962年昭和37年) - 大阪府立大学東北ネパール学術探検隊副隊長として参加1964年昭和39年) - ブータン海外技術協力事業団現・国協力機構)のコロンボ・プラン農業指導者として里子夫人とともに赴任赴任当初インド人大半占め農業局から冷遇を受け、試験農場すらまともに用意されなかったという。そのような中、28年間に渡り日本から導入した野菜栽培および品種改良荒地開墾など、ブータン農業振興尽力する西岡振興策援助側の一方的な施策押し付けではなく現地実状即した漸進的なものであったこのため成果確実性定着性において他に例を見ないほどの成功収め農法とどまらず産業・生活の基盤改善大きく寄与した1980年昭和55年) - 当時ジグミ・シンゲ・ワンチュク国王から「国の恩人」として、民間人贈られる最高の爵位である「ダショー」を授かり同国において唯一にして史上初の外国人受爵者となった1992年平成4年) - 3月21日 帰国直前敗血症罹りブータン首都ティンプー病院死去59歳没)。3月26日 ブータン王室およびブータン政府によって西岡京治国葬執り行われ遺体夫人意向に従ってパロ盆地cf. パロ)が見渡せる丘にある葬儀場埋葬された。 没後 2006年平成18年) - 日本の中学校道徳資料集中学生道徳 あすを生きる 3』(日本文教出版)と英語教科書TOTAL ENGLISH 3』(学校図書)が、資料教材西岡京治採用した2014年平成26年) - 功績たたえる記念館がパロ国立農業機械センター内完成し6月17日記念式典開かれた

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