平成期の活動:アジア各地での人気、女優・歌手
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「酒井法子」の記事における「平成期の活動:アジア各地での人気、女優・歌手」の解説
タレントとして伸び悩んでいた酒井は、1990年当時、日本の芸能界が目を向けていなかった台湾での活動を始め、香港、中国本土など、中国語圏各地においても、日本での評価以上の人気と知名度を獲得。中国語歌唱による楽曲も発表した。1992年(平成4年)5月には、初めての海外公演として、台北市でのコンサートを成功させた。1998年には、中国の中国唱片社が発行する音楽情報誌『音像世界』5月号に掲載された同年3月分のランキングで1位に登場し、同誌6月号では表紙を飾った。 「微笑みを見つけた」を中国の標準語(普通話)による歌詞でカバーしている(タイトルは「微笑」)。広東語バージョンは黎瑞恩の歌による「你知我想說甚麼」。 1993年、脚本家の野島伸司に引き立てられ、主演したドラマ 『ひとつ屋根の下』(フジテレビ)、続いて1995年に『星の金貨』(日本テレビ)が立て続けにヒットする。同ドラマの主題歌となったシングルCD『碧いうさぎ』は自身初のミリオンセラーの大ヒット曲となり、デビュー9年目にして初めて 『第46回NHK紅白歌合戦』(1995年)に出場した。ドラマでの役柄に合わせて、酒井はこの楽曲を、NHK紅白歌合戦史上初めて、日本手話を交えて歌った。 1996年(平成8年)3月には、個人事務所 「エヌ・コーポレーション」(東京・南青山)設立、継母と共に取締役に就任した。同年、『続・星の金貨』(日本テレビ)にも引き続き主演を務め、ドラマ主題歌のシングルCD『鏡のドレス』もヒット作となった。 その後、結婚・出産を経た酒井は、育児と女優活動を両立、2003年(平成15年)には、伊藤忠商事とサンミュージックが設立した洋服ブランド、『ピーピーリコリノ (PP rikorino)』のプロデュースを始める。さらに、日中文化スポーツ交流年(2007年)・文化親善大使となって、様々なイベントに参加し、当時の内閣総理大臣・安倍晋三とも面会、また、最高裁判所制作による、裁判員制度のPR映画『審理』(2008年)に主演するなど、芸能人としてのステータスを高めていた。
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