平成期の反響
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「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」の記事における「平成期の反響」の解説
本書が絶版となった後の2000年(平成12年)、石川県七尾市の寺院・願正寺の住職である三藤観映がこの詩に出逢い、強く心を打たれた。書家でもある三藤はこの詩を書にし、同年4月に石川県金沢市で開催された現代美術展に出展した。主催者側からは「書の前に人だかりができた」「書を見た人が涙を流していた」などの報告があり、三藤のもとにも康文に関する問合せが多くあった。 2002年(平成14年)、この書は三藤の地元である七尾市の石川県七尾美術館の美術展に出展された。あるときに女子学生の一団たちが来館し、その1人の生徒が展示品群に不満を漏らしていたところへ、美術館のボランティアの女性が「あの作品だけでも見て行って」と、三藤の書を勧めた。その詩を読んだ生徒は泣き始め、ついには生徒たち全員が耐え切れずに泣き出し、「今の健康と幸福を忘れていました」と女性に礼を述べた。 このボランティア女性が七尾美術館での一件を産経新聞の紙面企画「ウェーブ産経」へ投書したところ、非常に多くの反響があった。兵庫県淡路島の三原郡青少年育成センターの所長である川渕泰司も、「今どきの女子学生を泣かせる詩とはどんなものか」と産経新聞の読者サービス室に電話を入れ、「実際に読んでみて、一人でも多くのお母さん、子供に伝えたいと感じました」「この詩を読んで、親子関係を見つめなおす一助になれば、とセンターのニュースレターに掲載することにしました」と語った。同年4月にはテレビ番組でも紹介され、障害児を持つ母親たち、特別支援学級の教員といった読者たちからも、共感を強く感じたとの感想が多数寄せられた。新潟県のキリスト教会のウェブサイトでも、この詩が紹介された。ブラジルのサンパウロからも、この詩に関する問合せがあった。 こうした反響を受けて同2002年4月、『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』が一部改訂の上で復刊されるに至った。 復刊後の同2002年、致知出版社の雑誌「致知」誌上で、向野がこの詩を紹介した。致知出版社の社長である藤尾秀昭は、「自分を生み育ててくれた母親に報いたい。その思いがこの少年の人生のテーマだったといえる」「生前、ひと言の言葉も発し得なかった少年が、生涯を懸けてうたいあげた命の絶唱」と賞した。 後の2006年(平成18年)には、不登校児童を受け入れている宮崎市熊野のフリースクール・自然楽校未来船でも、命の大切さを伝える教材として取り入れられた。2009年(平成21年)には、大阪府吹田市のボランティア点訳グループ「あい」によって点字化された。
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