平成期の反響とは? わかりやすく解説

平成期の反響

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 01:51 UTC 版)

お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」の記事における「平成期の反響」の解説

本書絶版となった後の2000年平成12年)、石川県七尾市寺院願正寺住職である三藤観映がこの詩に出逢い強く心を打たれた。書家でもある三藤はこの詩を書にし、同年4月石川県金沢市開催され現代美術展に出展した主催者側からは「書の前に人だかりができた」「書を見た人が涙を流していた」などの報告があり、三藤のもとにも康文に関する問合せ多くあった。 2002年平成14年)、この書は三藤地元である七尾市石川県七尾美術館美術展出展された。あるときに女子学生一団たちが来館しその1人の生徒展示品群に不満を漏らしていたところへ美術館ボランティア女性が「あの作品だけでも見て行って」と、三藤の書を勧めた。その詩を読んだ生徒泣き始めついには生徒たち全員が耐え切れず泣き出し、「今の健康と幸福を忘れていました」と女性に礼を述べた。 このボランティア女性七尾美術館での一件産経新聞紙面企画ウェーブ産経」へ投書したところ、非常に多く反響があった。兵庫県淡路島三原郡青少年育成センター所長である川渕泰司も、「今どきの女子学生泣かせる詩とはどんなものか」と産経新聞読者サービス室に電話入れ、「実際に読んでみて、一人でも多くお母さん子供伝えたい感じました」「この詩を読んで親子関係見つめなおす一助になれば、とセンターニュースレター掲載することにしました」と語った同年4月にはテレビ番組でも紹介され障害児を持つ母親たち特別支援学級教員といった読者たちからも、共感強く感じたとの感想多数寄せられた。新潟県キリスト教会ウェブサイトでも、この詩が紹介された。ブラジルサンパウロからも、この詩に関する問合せがあった。 こうした反響受けて2002年4月、『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』が一部改訂の上復刊されるに至った復刊後の同2002年致知出版社雑誌致知誌上で、向野がこの詩を紹介した致知出版社社長である藤尾秀昭は、「自分を生み育ててくれた母親報いたい。その思いがこの少年人生テーマだったといえる」「生前ひと言言葉発し得なかった少年が、生涯懸けてうたいあげた命の絶唱」と賞した。 後の2006年平成18年)には、不登校児童を受け入れている宮崎市熊野フリースクール・自然楽校未来でも、命の大切さ伝え教材として取り入れられた。2009年平成21年)には、大阪府吹田市ボランティア点訳グループ「あい」によって点字化された。

※この「平成期の反響」の解説は、「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」の解説の一部です。
「平成期の反響」を含む「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」の記事については、「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」の概要を参照ください。

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