平成期以降・指定暴力団へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 06:06 UTC 版)
1990年(平成2年)5月、稲川聖城の実子にあたる稲川裕紘が稲川会三代目会長に就任した。 1992年(平成4年)、山口組・住吉会ほか数団体と共に暴力団対策法に基づく指定暴力団に指定される。 1996年(平成8年)、稲川裕紘が五代目山口組組長・渡辺芳則と五分の兄弟盃を交わす。 2005年(平成17年)5月29日、稲川裕紘が病死。京葉七熊一家の角田吉男と、稲川一家の稲川英希との間で跡目を巡った争いが起きるが、稲川聖城の裁定により沈静化。 2006年(平成18年)に、角田吉男が四代目を継承した。10月には稲川会・二代目山川一家若頭・内堀和也が、六代目山口組・二代目弘道会若頭・竹内照明と五分の兄弟盃を交わした。後見人には、六代目山口組若頭・二代目弘道会会長の髙山清司と稲川会理事長・山川一家総長の清田次郎であり、取持人は双愛会本部長・塩島正則、媒酌人は稲川会の水野四郎であった。 2007年(平成19年)12月22日、総裁・稲川聖城が東京都内の病院で肺炎により死去する。 2010年(平成22年)2月23日、角田吉男が東京都内の病院で死去。死因は膵臓癌であった。
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