清田次郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/28 18:10 UTC 版)
きよた じろう 清田 次郎 | |
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生誕 | 1940年6月5日 |
死没 |
2025年4月21日(84歳没)![]() |
死因 | 病死[1] |
住居 |
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国籍 |
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職業 | 暴力団組長 |
団体 |
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肩書き |
六代目稲川会総裁 二代目山川一家総長 |
辛 炳圭 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 신병규 |
漢字: | 辛 炳圭 |
発音: | シン・ピョンギュ[2] |
2000年式: MR式: |
Sin Byeong-gyu Sin Pyŏngkyu |
清田 次郎(きよた じろう)こと辛 炳圭[3](シン・ピョンギュ[2]、1940年6月5日 - 2025年4月21日[1])は、在日韓国・朝鮮人のヤクザ。指定暴力団・六代目稲川会総裁[4]。
来歴
川崎で総勢80名を超える愚連隊を統率していた若年期、山川一家を結成したばかりの山川修身と出会い、自身が率いる愚連隊ごと山川一家に加入する。
稲川会の直参となって以降、運営委員長、理事長補佐、会長補佐といった執行部の重職を歴任した。
- 1992年(平成4年)、三代目稲川会の発足に伴い山川一家の二代目総長に就任。
- 2006年(平成18年)、角田吉男を首領とする四代目体制下では理事長に就任。
- 2008年(平成20年)、山川一家の跡目を若頭だった内堀和也に禅譲。
- 2010年(平成22年)、角田の死去に伴い、稲川会の五代目会長に就任。
- 2019年(平成31年)、稲川会の跡目を理事長だった内堀和也に禅譲し、自身は六代目総裁に就任した[5]。
2025年4月21日に川崎市内の病院で病死[1]。84歳没[6][2]。
法規命令
2013年1月23日、米財務省は、Kiyota, JiroことSin, Byon-Gyuを国外の著しい犯罪組織とその支持者であるとして、国際緊急経済権限法・大統領令13581号に基づき、米国司法権の及ぶ範囲の資産凍結、米国民との取引を禁止する制裁対象とした[3][7]。
脚注
出典
- ^ a b c d “稲川会の清田次郎総裁が病死 指定暴力団で3番目の規模”. 朝日新聞デジタル (2025年4月21日). 2025年4月26日閲覧。
- ^ a b c “指定暴力団稲川会のトップの清田総裁(84)が死亡 川崎市内の入院先で病死か”. テレ朝news (2025年4月22日). 2025年4月28日閲覧。
- ^ a b 『米、稲川会に経済制裁 主要3団体すべて対象』2013年1月24日 日本経済新聞
- ^ 『稲川会:新会長に辛炳圭理事長』 2010年6月14日 毎日新聞
- ^ 沖田臥竜 (2019年4月17日). “山口組分裂騒動に影響はあるのか? 関東の雄・稲川会が代替わりし、新体制へ”. Business Journal 2021年1月31日閲覧。
- ^ “指定暴力団・稲川会の清田次郎こと辛炳圭総裁(84)が死去 病死とみられる | TBS NEWS DIG (1ページ)”. TBS NEWS DIG (2025年4月21日). 2025年4月21日閲覧。
- ^ 『Treasury Targets Leading Figures of Transnational Criminal Organizations』 2013年1月23日 アメリカ合衆国財務省
関連項目
- 特殊詐欺 - 稲川会系組員による詐欺事件に関して、稲川会トップの清田に対して提起された民事訴訟が存在する。
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