宮川水系の発電所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/23 01:51 UTC 版)
「宮川ダム (三重県)」の記事における「宮川水系の発電所」の解説
宮川水系では、主に宮川ダム建設を補助するために支流の大内山川から取水する長ヶ発電所と、当初より計画されていた宮川ダムを水源とする宮川第一・第二発電所を合わせた3発電所(合計最大出力 54,800kW)のほか、のちに宮川第三発電所・三瀬谷発電所・大和谷発電所が作られた。 宮川ダムの大杉湖から熊野灘側への落差が大きいことから、宮川ダムの水資源を使っての水力発電は、長さ6,435mのトンネルで山を越え、落差174mで熊野灘側の赤羽村(現在の紀北町)で行なうこととなった。上流の宮川第一発電所での発電ののちに赤羽川支流三戸川の水と合わせて直径3.6m・長さ7,600mのトンネルで再び山を越え、宮川第二発電所に利用したのちに紀勢本線三野瀬駅近くのブリの漁場として知られていた三浦湾へ放水する計画であった。 大規模な環境の変化が想定されたため、宮川河口・三浦湾などでの、漁業を主とする環境への影響の調査が東京水産大学(現在の東京海洋大学)教授の田内森三郎などにより行なわれた。宮川と赤羽川では影響は無視できるとされたが、三浦湾へ流れ込む河川の年間平均流量は0.4m3/秒であり、宮川ダムからの放水の8.4m3/秒が加わると22倍に増加すると考えられた。大量の放水により海水の塩分濃度が若干低下し漁獲量が減少することが懸念されたため、39,337,480円の補償金が支払われた。 宮川ダム完成後、三浦湾ではブリ漁に代わり、真珠養殖に用いるアコヤガイの育成に力を入れている。宮川ダムに貯められた水のうち約50-65%が水力発電に使われているが、宮川流域の漁協などは宮川への放水を増やすように要求している。このためダムを管理する三重県は2006年(平成18年)4月に宮川の流水改善を目的に選択取水設備を増設している。 長ヶ発電所 三重県営の最初の発電所として、宮川最大の支流である大内山川の大宮町滝原地点にトンネルで導水するための滝原堰堤と、宮川本川中流の多気郡大台町長ヶ地点に長ヶ発電所が作られた。1952年(昭和27年)に着工し、1954年(昭和29年)1月に運転を開始した。この発電所は最大出力2,400kWと小さいが、宮川ダム・宮川第一発電所・宮川第二発電所の建設に利用された。 宮川第一発電所 1953年(昭和28年)6月に着工し、1957年(昭和32年)4月に完成した。最大出力24,800kWで初年度に8億円の発電による収益を上げた。 宮川第二発電所 1954年(昭和29年)6月に着工し、1958年(昭和33年)1月に完成、2月23日に運転を開始した。最大出力27,600kWで、初年度に7億7000万円の収益を上げた。 宮川第三発電所 増大する電力需要に対応するため、宮川ダムの上流域の不動谷に不動谷ダムと宮川第三発電所が作られた。1958年(昭和33年)7月に着手、1962年(昭和37年)3月に完成した。最大出力12,000kWのこの発電所で使われた水は宮川ダムに流れ貯められる。なお、この発電所から先の上流域は大杉谷という峡谷で、自動車は通行できない。 三瀬谷発電所 1964年(昭和39年)3月、宮川ダムの約30km下流に三瀬谷ダムと三瀬谷発電所が着工され、1967年(昭和42年)4月に完成した。三瀬谷ダムからの放流水を一時的に貯留し、河川流水量を調節するための堰が長ヶ発電所付近に作られ、長ヶ逆調整池と名付けられた。 大和谷発電所 1981年(昭和56年)11月に電源開発調整審議会で、宮川ダムの上流域の大和谷への大和谷発電所の建設が決定された。1985年(昭和60年)6月に完成した最大出力6,400kWのこの発電所で使われた水は宮川ダムに流れ貯められる。
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