宮城県におけるアマチュア野球の聖地
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「宮城球場」の記事における「宮城県におけるアマチュア野球の聖地」の解説
宮城球場は1950年から、高校野球を中心に、宮城県内の中学野球・大学野球・社会人野球などの試合に使用されてきた。そのため、東北楽天ゴールデンイーグルスが本拠地に使用することが決まった2004年末の時点では、宮城球場におけるアマチュアの試合回数が減ることが関係者の間で危惧されていた。しかし、宮城県と楽天の協定の中で、 従来の料金でのアマチュア野球への貸し出し 楽天が野球振興に協力する という条件で、楽天の本拠地となってからもアマチュア野球の試合数は一定数確保されることとなり、アマチュア野球の聖地としての地位の一部は守られている。 例をあげると「杜の都の早慶戦」と称される「仙台一高二高硬式野球部定期戦」は1900年(明治33年)に始まったもので、大正から戦中の中断を経て戦後の1946年(昭和21年)に復活後、現在まで続いている。宮城県における伝統ある試合として約半世紀に渡って試合会場となってきたが、プロ野球参入後は日程の問題や「仙台国際ハーフマラソン」との競合で、宮城球場での開催が危ぶまれた。しかし、宮城県・楽天双方の努力と関係者の奔走により、日程の確保がなされた。 2005年の定期戦では、試合中に両校による伝統ある熱烈な応援合戦がなされてきたが、改修された球場では、応援団が乗る大舞台の設置が難しく楽天側から拒否されてしまった。宮城県、楽天双方で設置と現状復帰について何度か協議したが、物理的・時間的に法的基準を満たす設置と復旧が難しいことがクリア出来ず、最終的には、一高はビールケースで作った小さな舞台を内野スタンドに作って応援し、二高は舞台を設置せずに外野スタンドで応援する、という形式に変更することとなった。しかしながら、2008年以降は当時の堀江球場長のアドバイスや一高OBの尽力により日程や舞台設置方法の変更を行い問題点を克服した形で舞台が設置されている。 また、毎年楽天野球団が公表している報告書によると、2005年以降のアマチュアへの貸し出し日数は70日以上となっており、2004年以前の貸し出し水準を大きく超えている状態が維持されている。これは、プロ野球が開催されるホーム球場ということで、設備の整った球場の人気が高まり利用希望が増えている為といえる。宮城県が意図していた、「管理占有許可を認めることでプロスポーツ企業に大幅な利用権限を与え、施設の向上を図り利用者の利便性を向上させる」という考えが成功したものとして、内外のスポーツ関係者から高く評価されている。このような状況から、楽天が主催試合開催日の完全キャッシュレス化に踏み切った2019年以降も、アマチュア野球の開催日に場内外の売店やカウンターを開ける場合には、従来どおり現金の収受を認めている。 ただし、2005年から楽天主催試合の開催が優先されるようになったことを機に、宮城県内のアマチュア球界には県内での試合・練習に適した施設を確保する必要が生じた。2007年には市が宮城野区内で整備計画を進めている野球場が完成する予定だったので、竣工までの向こう2シーズンの間、アマチュアが優先的に使用できる施設が必要となった。そこで市は2005年から、廃部されたJT硬式野球部が練習場として使用していた宮城野区の旧JT球場(東仙台球場。日本たばこ産業仙台工場跡地内、硬式・軟式いずれも使用可)を2年契約でJTから借り上げ、市の管理施設として供用した。また泉区・泉パークタウンの明通球場は主に軟式野球で使用された。このうち東仙台球場は2006年10月を最後に利用契約が終了したが、代わって2007年5月、宮城野区に仙台市民球場が竣工して供用を開始し、アマチュア野球公式戦の一部が行われている他、一般利用向けにも供用されている。
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