宗教・文化対立:敬虔派の共和党と典礼派の民主党
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「アメリカ合衆国民主党の歴史」の記事における「宗教・文化対立:敬虔派の共和党と典礼派の民主党」の解説
当時、宗教的対立は深刻であった。メソジスト、会衆派教会、長老派教会、スカンジナビア系ルーテル教会、および北部の敬虔主義者たちは共和党と緊密に結びついていた。対照的に、典礼派、特にカトリック、米国聖公会とドイツ系ルーテル教会は民主党を支持し、敬虔派の道徳主義、特に禁酒法からの保護を求めていた。階級構造については、両党ともに階層を越えて支持を集めてはいたが、民主党は低所得者層からより多くの支持を集めたのに対し、共和党は上流階級からより多くの支持を得ていた。 有権者内の深刻な宗教的対立のために、文化的な問題、特に禁酒法と外国語学校の問題が、激しい論争の争点となった。北部では有権者の約半数が敬虔派プロテスタント(メソジスト、スカンジナビア系ルーテル教会、長老派教会、会衆派教会、ディサイプル教会)であり、政府は飲酒のような社会的罪をなくすためにあるべきだと考えていた。一方、典礼派の教会(ローマ・カトリック、ドイツルーテル教会、米国聖公会)は有権者の4分の1以上を構成し、政府は道徳問題に介入すべきでないと考えていた。19世紀末から20世紀初頭にかけて、禁酒に関する政治的論争は過熱し、禁酒法に反対する「ウェット」な民主党と賛成する「ドライ」な共和党との間における主な論点となった。ほとんどの州において国民投票が行われ、ついに1918年には国による規制法が成立した(1932年に廃止)。
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「アメリカ合衆国共和党の歴史」の記事における「宗教・文化対立:敬虔派の共和党と典礼派の民主党」の解説
19世紀後半アメリカ北部における宗派別投票行動(%)民主党共和党「移民」 アイルランド系カトリック 80 20 全カトリック 70 30 ドイツ系ルター派信仰告白派 65 35 ドイツ系改革派 60 40 フランス領カナダ系カトリック 50 50 非信仰告白派ドイツ系ルター派 45 55 イギリス領カナダ系 40 60 イギリス系 35 65 ドイツ系少数派 30 70 ノルウェー系ルター派 20 80 スウェーデン系ルター派 15 85 ノルウェー系ハウゲ派 5 95 北部系「原住民」(初期入植者等) クエーカー 5 95 福音バプテスト宣教団 20 80 会衆派教会 25 75 メソジスト 25 75 バプテスト 35 65 黒人 40 60 長老派教会 40 60 米国聖公会 45 55 北部に住む南部系「原住民」 ディサイプル教会 50 50 長老派教会 70 30 バプテスト 75 25 メソジスト 90 10 この時代、外交問題が政争の種となることは稀であり(共和党が賛成し、民主党が反対したハワイ併合を除く)、それより遥かに重要視されていたのは文化的問題、特に宗派と結びついたアルコールをめぐる問題や外国語学校問題だった。前述の通り、当時、信仰と支持政党は強く結びついていた。北部では有権者の約半数が敬虔派プロテスタント(メソジスト、会衆派教会、長老派教会、スカンジナビア系ルーテル教会等)であり、共和党と緊密に結びついていた。敬虔派は社会から犯罪を撲滅することが教徒の義務と考え、政府は飲酒のような社会の罪をなくすためにあるべきだと主張していた。対照的に、有権者の4分の1以上を構成する典礼派、特にカトリック、米国聖公会とドイツ系ルーテル教会は民主党を支持し、敬虔派の道徳主義、特に禁酒法からの保護を求めていた。階級構造については、両党ともに階層を越えて支持を集めてはいたが、低所得者層には民主党支持が多かった。 1860年から1912年にかけて共和党は、民主党にまつわる「ラム酒、ローマ主義、乱逆」("Rum, Romanism, and Rebellion")の印象を有効に用いた。「ラム酒」とは酒造業者と酒場経営者を指し、共和党の大きな支持基盤である禁酒支持者からは強い嫌悪を抱かれていた。「ローマ主義」とはローマ・カトリック、特にアイルランド系アメリカ人を指し、彼らは大都市ではどこでも民主党を牛耳っており、共和党からは政治的腐敗の象徴として非難されていた。「乱逆」とは1861年に独立を試みた連合国諸州の民主党と、カッパーヘッドと呼ばれた南北戦争反対派の北部民主党員を意味した。 19世紀末から20世紀初頭にかけて、禁酒に関する政治的論争は過熱し、禁酒法に反対する「ウェット」な民主党と、賛成する「ドライ」な共和党との間における主な論点となった。ほとんどの州において国民投票が行われ、ついに1918年には国による規制法が成立した(1932年に廃止)。 しかし、人口動態は民主党に味方していた。というのも、新しい移民のうち、多数を占めたドイツ系やアイルランド系カトリック信者はほとんどが民主党支持であり、共和党支持のイギリス系やスカンジナビア系を圧倒していたからである。また、禁酒運動に反対する「ウェット」な共和党員(特にドイツ系アメリカ人)は憤激して離反行動を取り、1890年から92年にかけての中間選挙および大統領選での民主党圧勝に寄与した。
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