大菩提寺管理権返還運動
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「佐々井秀嶺」の記事における「大菩提寺管理権返還運動」の解説
インド東部ビハール州ブッダガヤの大菩提寺は、仏陀成道の史実があるにもかかわらず、長らくヒンドゥー教徒の手により管理され、ヒンドゥー教の儀式および装飾が行われ続けていた。 佐々井はこの現状に抗議し、大菩提寺の仏教徒への解放および関連する法律の改正を求め行動を起こしている。ここでは主に1992年から1998年の間顕著に見られる大規模デモ行動についてまとめている。これら運動は、僧侶、一般信徒合わせて数万人規模になることがしばしばある。 1992年 5月16日 大菩提寺大塔にて300人規模の参拝。ヒンドゥー化された現状に抗議し、揉み合いとなる。 7月20日 「ブッダガヤー大菩提寺全インド解放実行委員会」結成。委員長就任。 9月27日 - 10月22日 ボンベイからニューデリーへ、トラック十数台を引き連れ行進。最終的に数万人規模の集会となる。大統領、中央政府首相に請願書を手渡す。その後ブッダガヤを経由し、ナーグプルへ帰還。全行程約7,000km。 11月23日 - 12月6日 アンベードカル入滅日、仏陀成道日を記念し、デリーにて座り込み。その最中の12月6日、インド北部アヨーディヤにて、ヒンドゥー教至上主義者たちによりイスラム教モスクが破壊されるバーブリー・マスジド事件が起こる。この宗教対立により状況が緊迫化し、デモの中断を余儀なくされる。 1993年 5月5日 - 5月7日 ブッダガヤー大菩提寺にて座り込みの後、ビハール州都パトナにて市中行進。ビハール州首相ラルー・プラサド・ヤダヴとの会見。大菩提寺内のヒンドゥー的装飾と正面大門の紋章の撤去を要請。 10月14日 - 10月21日 デリーにて大統領官邸および首相官邸を取り囲みデモ。市内広場にて7日間の座り込み。 1994年 5月24日 - 5月26日 ブッダガヤー大菩提寺にて釈迦生誕を祝う参拝を行う。行進は大規模となるも、寺院参拝を許可されたのは内300人に留まる。後の6月に州首相と会見し、93年5月に行った要請の再確認に加え、「仏陀はヴィシュヌ9番目の化身である」というヒンドゥー教の解釈を否定する最高裁の判断を支持する認定書を取り付けた。 12月8日 大菩提寺にて座り込み。翌日、州首相に大菩提寺の新管理委員会候補名簿を手渡し、承認を得る。 1995年 4月13日 - 3日間に亘るパトナ市内およびブッダガヤーでの行進の後、大菩提寺大塔付近とパトナ市議会堂付近にて座り込み。改宗させたばかりの2,000人を動員し、彼らを中心に一般信徒含め数万人が交代で3箇月間行う。5月には、ナグプールから高さ3mのアンベードカル像をブッダガヤーに運び込み、一夜にして建立する。 7月11日 現地にて抗議の断食に入る。翌日、中央政府に承認された新管理委員会名簿を州首相より手渡され、断食および3箇月間の座り込みはここで終了となる。 11月1日 未だ法改正がなされず完全な管理権返還に至らない大菩提寺の解放を要求して、ブッダガヤーにて抗議の断食を行う。僧侶、一般信徒数千人規模となり、一部は境内にも入り込む。9日目に州首相より、中央政府首相、閣僚、各政党との大菩提寺早期返還を目的とする会合を持ちかけられ、断食を中止。 1996年 11月1日 デリーにて集会、デモ。全インドから仏教徒数万人が集結。市中行進し、市街地で座り込み。その夜、中央政府首相デーヴェー・ガウダと会見。 1997年 2月末、デリーのヤンタル・マンタル広場にて抗議の無期限座り込みに入る。 1992年より集中して行われてきた一連の大菩提寺解放運動は、1998年10月13日をもって一旦終結する。現在、大菩提寺の管理は仏教徒が実質的に行っている。しかし寺院管理の法改正の要求は通っておらず、その後も形を変えてしばしば運動は行われている。2002年、大菩提寺が世界遺産に登録されたことをきっかけに、国連本部より招待を受け、この年のジュネーブでの国連特別総会およびパリのユネスコ本部にて国際社会に向けてアピールを行う。また44年ぶりに日本への一時帰国を果たした際、日本各地での講演において大菩提寺管理権返還の重要性を訴えている。
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