大菩薩峠事件による大打撃からよど号ハイジャック事件へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 02:04 UTC 版)
「共産主義者同盟赤軍派」の記事における「大菩薩峠事件による大打撃からよど号ハイジャック事件へ」の解説
上記のように、革命に先行する武装蜂起と一時的な政権掌握という「赤軍版二・二六事件」とも形容出来る「前段階武装蜂起」の理論に基づく大菩薩峠方面での軍事訓練を警察に察知され、予定されていた「第三中隊」「第七中隊」その他の決起部隊が一網打尽となる(大菩薩峠事件)。逮捕劇の舞台となった「福ちゃん荘」はハイカーに人気の大菩薩嶺の登山道の分岐にあり便もよく、後に皇太子(現:今上天皇陛下)が利用するなど比較的知られた山荘であり、基地として不適なため詰めの甘い選定であった。 大菩薩峠事件の後、国内での非合法闘争の後方基地としての海外のベースが必要であるとする海外亡命抗戦論とでも言うべき「国際根拠地論」が登場し、「B作戦」の一環として田宮高麿のグループ(後のよど号グループ)は1970年によど号ハイジャック事件を起こす。北朝鮮へ向かったのは北朝鮮を支持していたわけではなく、単に「敵の敵の味方」であり「最寄の反米国家」、「指導者をオルグすべき労働者国家」だったからにすぎないといわれる。一連の事件により、結成以来の議長の塩見孝也、上野勝輝、花園紀夫(早大)、高原浩之(京大)ら赤軍派幹部は一網打尽となり、組織は壊滅に近い状態になった。この後も、200名を越えるメンバーやシンパが微罪逮捕で検挙され「赤軍罪」という言葉まで生まれた。
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