変質期とは? わかりやすく解説

変質期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 22:55 UTC 版)

寝殿造」の記事における「変質期」の解説

平安時代院政期頃から鎌倉時代前期をさす。ただし何からの変質なのかは「成立期」の具体的姿が判明していないので必ずしも明らかではない。むしろその方完成像という見方もある。

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変質期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 06:24 UTC 版)

国衙軍制」の記事における「変質期」の解説

11世紀中葉に、王朝国家体制変革が行われた。1040年代画期として、それ以前前期王朝国家以降後期王朝国家区分する考えがある。この考えによると、後期王朝国家全国的な租税賦課一国平均役など)を契機として成立したそれまでは、受領権限のもとで地方行政展開しており、郡司富豪層らが開発してきた荘園国衙承認によって存立していた(国免荘)。しかし、内裏焼亡などを契機とした臨時措置として全国的な租税賦課実施されると、荘園側は、国衙でなく中央の太政官免税申請を行うようになった免税特権獲得した荘園領域統合される一円化措置などを通じて拡大する傾向示し国衙支配する公領蚕食始めた。ここに至り田堵負名層らによる対受領闘争(「凶党行為)はほとんど見られなくなり、代わって荘園と公領間の相論武力紛争頻発し始めた国衙軍制凶党追捕対象としていたが、荘園公領間の紛争において、荘園側は凶党には当たらないこととされたため、国衙軍制をもって荘園公領紛争制圧することはできなかった。そこで受領荘園への対抗手段として、主に軍事的に応能力を有する武士身分田堵負名公領経営治安維持委任することで、公領維持図ったのであるその際国内武士身分田堵負名のうち、同一の郡に基盤を持つ者同士互いに競合しあったため、従来郡の下にあった郷などの領域を郡と同等国衙統治下の単位引き上げ措置がとられ、競合する武士対等な地位得られるように、それぞれの経営責任者に任ぜられたと考えられている。こうして公領は郡・郷・保などの単位再編成され武士たちは郡司郷司保司として郡・郷・保の経営治安維持を受け持つこととなった。彼ら武士は、受領から委任され徴税検断権勧農権などを根拠として、在地領主へと成長していった。さらに言えば武士身分田堵負名は、自らの私営田権門勢家皇室・有力貴族・有力寺社)へ寄進して荘園とするとともに荘官任じられてもいた。つまり、彼らは一方で国衙側の郡司郷司として国衙領維持にあたり一方で荘園側の荘官として荘園拡大図っていたのである。こうして武士の在地領主化が進行していった。在地領主化した武士は、在庁官人となって国衙行政参画する一方で婚姻関係通じて党を組み武士団呼ばれる結合関係を構築していった。一国1人置かれる追捕使または国押領使は、次第特定の家系世襲するようになり、こうした累代の国追捕使国内武士の指導者、つまり「一国棟梁」として国内武士組織化した11世紀中葉後期王朝国家成立以来国衙軍制機能停止してしまった。国内武士受領動員命令ではなく追捕使地位を持つ「一国棟梁」の指揮に従うようになっていた。1030年長元3)の平忠常の乱に際して追討使任じられ源頼信がすぐに忠常を帰服させると、朝廷国衙軍制代わる軍事制度として追討使方式多用し始めた軍事貴族である源頼信は、追討成功により多く板東武士主従関係を結び、最初の「武家の棟梁」と呼びうる存在となった有事の際にはこうした武家の棟梁」が追討使補任され、主従関係結んでいる「一国棟梁」以下の武士動員し軍事活動展開したのである12世紀末の治承・寿永の乱源平合戦)を経て初期鎌倉幕府政権は、国追捕使権限継承した惣追捕使各国設置することについて、朝廷から承認得た惣追捕使は、国内武士統率する役割担っており、これは国衙軍制枠組み導入したものと評価できる惣追捕使その後守護制度へと発展していった。

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