如法一町家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 22:55 UTC 版)
しかしこの「変質期」に属する院政期にも寝殿造の理想形は左右対称だったとする説もあった。太田博太郎の「如法一町家」である。太田は1972年の『書院造』で先の堀口捨己の論を好意的に紹介しながら、ただ当時の寝殿造の理想形なり基本形がかなり広くの人に認められていたとしたらどうだろうと言う。そしてその「当時の寝殿造の理想形」「基本形」が『中右記』にある「如法一町家」ではないかと。しかし藤原宗忠が「如法一町家、左右対中門等相備也」と何ヶ所かで賞賛した屋敷は、「左右対称」では無かったことを川本重雄が具体的に検証しており、太田博太郎も後にはそれを認めている。
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