如蘭塾の概要とは? わかりやすく解説

如蘭塾の概要

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 13:48 UTC 版)

如蘭塾」の記事における「如蘭塾の概要」の解説

如蘭塾1943年5月3日に開塾式が行われ、その際には佐賀県知事旧藩鍋島家当主侯爵鍋島直映ら約500人が参列した。「教育は国の宝」を理念に「日本婦道訓育」「日本家庭実務」を習得させることを目的としており、入塾資格は「満州国民で国民優級学校卒業者にして16歳から20歳までの女性」。カリキュラム日本語中心に家事裁縫礼儀作法など。家事見習いとしての実習もあり、野中養親である野中家昭和グループ創始者である金子道雄などのもとに預けられた。 中国少女日本留学させ、日本の文化家庭実状親しませることによって相互理解深めるという野中計画は、満州国にとっても国家プロジェクト的な意味合いがあったとされる。そのため、満州国皇帝溥儀の弟で書家として知られる溥傑によって書かれ、現在は迎賓館かけられている「如蘭塾」の書や、満州国奉天省美術協会審査員務めていた松永南樂による襖絵今でも残っている。 戦時中設立のため塾生43年入塾1期生29人と、44年入塾2期生22人の計51人でその短い歴史終えた戦後引き揚げ者宿舎になったり、芸術活動の場などに使われ、現在は如蘭塾理念継承し中国人留学生への奨学金給付佐賀県内高校生の中国派遣などの事業行っている清香奨学会事務局がある。また、運動場跡地武雄競輪場になり、地元婦人会などが留学生のために1万本の植えて整備した梅林御船ヶ丘梅林として武雄市観光名所となっている。

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