奨学会
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秋次は八十歳を前にして甥の石川一生を呼んだ。「佐吉翁は電池の発明のために百万円を寄付した。私も自分の力だけでできる奨学会をつくりたい。すぐ、具体化の研究をしてほしい」と頼んだ。秋次は経済的な理由で、向学心がありながら勉学を断念せざるをえない人のために、奨学金を出したいと考えた。 1960年(昭和35年)11月9日、文部大臣より「財団法人西秋奨学会」の設立が認可された。理事長には妻の西川田津が就任した。以来、多くの高校生、大学生が奨学金を受けた。また、大きな特徴として西川秋次が活躍した中国にちなみ、中国人留学生のための支給枠が設けられた。近年は研究者にも研究助成がなされている。 西秋奨学会は、2003年(平成16年)10月1日、豊田信吉郎(豊田佐吉の孫)の未亡人豊田江美寄贈の資産と統合し、新たに「財団法人豊秋奨学会」を設立し名称を変更した。2013年の給付時点で1400人を越す学生、研究者に奨学金]を支給した。 生前、秋次の希望した意志が今もしっかりと後世に受け継がれている。
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