平面図の描ける寝殿造の時期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 22:55 UTC 版)
「寝殿造」の記事における「平面図の描ける寝殿造の時期」の解説
この時期は史料が増え、院御所や摂関邸はもとより一般公家邸から平家邸まで多くの事例が指図などにより復原されている。特に東三条殿(画像030)は藤原氏の氏長者の本邸として様々な行事が行われ、その指図も沢山残る。そのため、儀式の様子が把握でき、平面図も復元出来た。太田静六による復原図で知られる承暦4年(1080)再建の堀河殿(画像510)もこの「変質期」に属する。つまり、具体的に屋敷の構成や、建物の規模が平面図に柱単位で復元出来るものは全てこの時期以降のものである。『年中行事絵巻』などの絵巻も12世紀から、これまで説明してきた室礼の詳細が記された古文書も12世紀のものである。史料上は寝殿造の中心となる時期である。 ただし東三条殿や堀河殿は11世紀後半に建てられたもので、12世紀に入ると超大規模な寝殿造の建造は、鳥羽殿や法住寺殿など院が建造したものが中心となり、一方で摂関家など貴族が造営したものは後に内裏となった閑院が知られる程度で下火になる。
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