地中海沿岸・ギリシア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 08:36 UTC 版)
「en:Neolithic Greece」、「en:Pottery of ancient Greece」、「en:Minoan pottery」、「古代ギリシアの陶芸」、「キクラデス文明」、「ミノア文明」、および「ミケーネ文明」も参照 紀元前6000年を過ぎてしばらく、古代ギリシアのエーゲ海沿岸に無文の土器を持つ集団が定着し始めた。この集団の詳細は現状ではよくわかっていないが、アナトリア高原で発達しつつあった穀物・豆類栽培や土器製造文化をヨーロッパにもたらした人びとであろうと推測される。テッサロニキ地方やクレタ島には当初、栽培文化だけが伝わった。紀元前5500年頃から紀元前4500年頃にかけてのギリシアではセスクロ(英語版)文化という彩文土器をともなう農耕文化が発展した。 ギリシアからバルカン半島へと伝播していった農耕文化に平行して、イタリア半島から南フランス、イベリア半島へと広がる別の農耕伝播の流れがある。それが、紀元前5500年頃から紀元前5000年頃にかけてイタリア半島のアドリア海・地中海沿岸地域を中心として成立したカルディアル土器文化(イタリア語版)である。この文化は、二枚貝のカルディウム属(現、Cerastoderma属)の貝殻を胎土に押し付けて表面に櫛目のような文様をほどこした土器(カルディウム土器)に特徴をもっている。紀元前5000年を過ぎると、赤色塗彩した上に貝殻圧痕をほどこす土器が一般化していき、この土器伝統はおよそ1000年の長きにわたって継続する。その後、南フランスでは、紀元前4000年頃にシャッセ―(フランス語版)文化が成立する。 一方、紀元前4000年頃のギリシアではディミニ(英語版)土器文化が発展し、紀元前3000年頃にはクレタ島にミノア文明(クレタ文明)が開花する。ミノア文明は独特の土器文化を育んだ。ミノアの土器(英語版)は3期に分けられ、前期は黒色の斑文をともなうヴァシリキ様式(英語版)、中期は鮮やかな彩文が特徴的なカマレス様式(英語版)の土器がつくられ、後期にはタコをはじめとする海生生物を描いて「海の様式(英語: Marine Style)」と称される特徴的な彩文土器がさかんにつくられた。ミノア文明は、紀元前1400年頃、ギリシア本土のミケーネによって滅ぼされた。 セスクロ・ディミニの土器文化を持っていた原ギリシア人は、青銅器時代に入ると釉薬に似た光沢のある上塗りを施す「ウルフィルニス土器」を産み出した(ヘラドス文化)。ヘラドス文化は、赤や黄褐色で施文した艶なしの土器、黒・灰色で無文の「ミニュアス土器」と推移し、後期青銅器時代にはミケーネ文明を開花させた。ギリシア本土ではこの後、紀元前10世紀以降、器表に幾何学文を施す幾何学様式、赤に黒色で描く黒絵式(黒像式)、それを反転させた赤絵式(赤像式)、白地に色彩豊かに絵を描いた白地多色式など多様な土器・陶器が作られた。 セスクロ文化の高坏 カルデイアル土器文化の把手付コップ状容器(スペイン出土) 新石器時代 ディミニ文化期の彩色土器 壺 紀元前2600〜1900年のミノア土器 嘴形注口付壺 ミノア文明・ヴァシリキ様式の嘴形注口付水差 ミノア文明・カマレス様式。花のアップリケで装飾された台坏鉢形土器 カマレス様式の鉢形土器 ミノア文明「海の様式」の把手付壺 紀元前1440〜1050年のミノア「海の様式」魚・タコ柄皿 紀元前1500年〜1450年のパピルスが描かれたミノア土器把手付壺 紀元前1400〜1200年のミノアの香炉形土器 アテネの幾何学様式土器壺(紀元前950〜900年) 動物文ピュクシス コリント文化(紀元前600〜575年) 馬車を描いた黒絵式の陶器 壺(紀元前520年頃) 内側に走る人物を描いた黒絵式の把手付碗形陶器(紀元前570〜550年) 若い男女(ピリポスとカリスト)を描いた赤絵式把手付碗形陶器(アテネ、紀元前490年) 戦闘場面を描いた赤絵式台付把手付鉢型陶器(アテネ、紀元前430〜410年) 紀元前490年の白地多色式陶器 婦人文壺 白地多色式の婦人文ピュクシス(蓋付)(アテネ、紀元前460〜450年) アフリカの子どもとワニを描いたリュトン(坏) 型押し製法でオルフェウスを表した3世紀の把手付瓶形陶器(リビア、キレナイカ)
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