名崎送信所とは? わかりやすく解説

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名崎送信所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/31 06:40 UTC 版)

名崎送信所(なさき・そうしんしょ、または、なざき・そうしんしょ)は、茨城県古河市(旧・結城郡名崎村猿島郡三和村→三和町)にあった、KDDI所有の土地を日本電信電話(NTT。現・NTTコミュニケーションズ)が借り受けて運営した電波送信所である。なお、旧電電公社時代以降、正式には名崎無線送信所と呼ぶ。

概要・歴史

開局から終戦まで

KDD時代

その後、海底ケーブル衛星等の国際通信の充実化により1969年、KDDは短波無線の整理・統合計画案を公表。国際放送は八俣送信所に一本化、また国際電話関係の業務は旧日本無線電信が栃木県小山市に建設していた小山送信所(現:KDDI小山テクニカルセンター・KDDI国際通信史料館)に移転することが決定されると共に、1972年、電電公社が短波送信所の再編計画を発表し、この名崎送信所を電電公社無線業務の送信所として新設することを明示。1973年3月、KDD所有としての名崎送信所を一度閉鎖解体したのち、1975年(昭和50年)9月、電電公社の送信所として新設する。なお土地はKDD→KDDIから借り上げる形であった。

電電公社→NTTの送信所へ

終焉へ

1990年代に入ると、技術の進歩や他の送信所への移行などもあり段階を追ってこれらの電波が整理されていく。

最後まで残ったJMHと東京VOLMETは、鹿児島県枕崎市鹿児島県漁業無線局へ移転のため2009年(平成21年)3月4日限りで名崎での送信を完全停止。これにより75年に及んだ歴史に幕が下りた。

再開発

閉局後はauNTTドコモなどの携帯電話鉄塔を除いて解体され、跡地は茨城県庁により名崎工業団地として整備することになり、2010年日野自動車が跡地を購入した。日野自動車は2012年から古河工場を建設し、東京都日野市の本社・日野工場から製造部門を中心に移設を進めている。

登場作品

ガメラ2 レギオン襲来
終盤の舞台の一つとして登場。電波管制が行われていたため発信は行われていなかったが、主要登場人物の一人であるNTT北海道エンジニアが職員を説得し、小型レギオンの群れをガメラから引き剥がすために最大出力で電波発信を行う。

脚注

注釈

  1. ^ 標準電波
  2. ^ 長波40kHz
  3. ^ 3波
  4. ^ 1波
  5. ^ 短波4波
  6. ^ 5波
  7. ^ 3波
  8. ^ A3A4波

出典




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